2018年04月15日

大阪維新の会の本質をさらけ出した大阪都構想の法定協議会経過報告

2018年2月22日ABCテレビ「キャスト」は、大阪府市が開いた法定協議会の結果を速報で伝え、大阪市を廃止して特別区を新設する「大阪都構想」において、大阪維新の会提案の4区案と公明党提案の8区案の二つに意見が集約されたと報じました。

元新聞記者コメンテーターの大谷明宏は「次の住民投票で大阪都構想が否決されたら、またやり直そうという話になるのではないか?そんな勝つまでジャンケンみたいなことをやっていたら、大阪は何をやっているのかと他の都道府県から白い眼を向けられるようになるのではないか?」と述べて、筆者を苦笑いさせました。

番組はさらに、「そもそも万博は市町村が喜ぶイベントであるのに、その市をなくしてしまってどうするのか?また、公明党が反対して住民投票をやめようと言えば大阪市は残ることになるが、公明党は今後どう動くのか?」と論じました。

さて、「勝つまでジャンケン」とはよく言ったものです。何度負けても「もう一回やらせて」と言ってジャンケンし続ければ、いつかは勝つときが来るでしょう。しかし、それで「勝った以上好きにさせて貰う」と言われたのでは溜まったものではありません。

そもそも、勝つまでジャンケンなど応じてはならないのです。にもかかわらず、その実現に協力している公明党こそ、この問題を影から支えている張本人であると指摘できます。

また、2月22日の日本経済新聞(インターネット)によると、大阪市を廃止して特別区を導入する「大阪都構想」の制度設計を議論する法定協議会(法定協)は22日、大阪府・市が示していた4つの区割り案のうち、市内24区を4区に再編する案に絞り込んで議論していくことを決めた。大阪維新の会が提案し了承された。導入コストが比較的低く抑えられる点や都市開発を進める上での効率性、災害への備えを重視した。

これまでに府市は、庁舎整備などの初期費用やシステム維持などの運営経費が低い4区案と、より市民に近い行政サービスに重点を置いた6区案を、隣接する区の組み合わせ方により各2種類に分けた計4案を提示していた。
4区の2案は初期費用が302億〜561億円、運営経費が年間39億〜48億円かかり、6区の2案はそれぞれ最大768億円、同62億円と試算。区ごとの収支見通しも、4区案の方が安定的に黒字化する時期が3〜4年早いとしていた。

維新は4案を財政面の利点から4区の2案に絞り込んだ上で、都市計画や防災上の課題を検討。新大阪駅周辺を効率的に開発できるほか、豪雨で淀川が氾濫するなどした場合、迅速な避難や情報伝達に対応できるとして、東淀川区や淀川区など淀川以北の現行区を1つの特別区にまとめた案が最も適切と主張した。

吉村洋文市長は同日の法定協で「議論を深めることが重要」と、制度設計をより具体化する考えを表明。今後、4区案を基に特別区を設置する時期や区名、区役所を設ける場所、区議の定数など詳細を詰める。
協議内容をとりまとめた後、総務相に報告したうえで「特別区設置協定書」を作成。維新府議の今井豊・法定協会長は終了後、早ければ6月末までに協定書がまとまるとの見通しを記者団に示した。

大阪の将来像についての議論を巡っては、府市と維新が今秋、都構想の住民投票実施を目指しているのに対し、自民、共産両党は橋下徹前市長時代の2015年の住民投票で否決された経緯を踏まえて反対の姿勢。公明党は市を残したまま24区を8区に再編する「総合区」の導入を求める一方、住民投票で都構想が否決されれば総合区に移行する方針を府市が示していることから、住民投票については反対していない。


さて、特にこの最後の部分を読んで何か違和感を覚えませんか?

当ブログは「大阪維新の会は夢洲埋立地にカジノを建設することだけを目指しており、住民投票でその実質的な支持を取り付けようとしている」と説いてきました。

その目的で2015年6月住民投票が実施され、「大阪市を廃止して、現行の24区から5区に再編成する」という大阪都構想は否決されました。

では、この住民投票で示された大阪市民の意思とは何だったのでしょうか?

それは、「大阪市は廃止しない」という部分だけだったのでしょうか?そうではないと思います。

大阪市民は、現行の行政区画である「区を再編統合する」という方針にも反対の意思を示したはずです。
ところが、どうも2月22日の府市の法定協議会の様子を見ていると、大阪維新の会は示された住民意思は「大阪市廃止反対」だけで、「前回の5区への再編統合案は否決されたが、新たな区再編統合案への反対意思を示すものではない」と勝手に解釈しているようです。

これは、大阪維新の会の早とちりなのでしょうか?手落ちなのでしょうか?
いえ、そうではありません。これはこの党が抱える闇の部分を如実に反映するものと考えられます。それをこれから説明しましょう。

そもそもイルミー組織は、何故橋下徹氏をマスコミの力で白馬の騎士に仕立て上げ、その人気をして大阪市長に据えたのでしょう?
それはもちろんイルミーにとっての抵抗勢力であった大阪市を牛耳らせるためですが、しいてはカジノを作らせるためです。

ここで少し話は飛躍しますが、世界統一という目的に向かって進んでいるイルミー組織は、現在の国境線を度外視した未来の広大な行政区画を想定しています。そして、そのそれぞれの地域にカジノを建設することを重視しています。

ここで笑ってはいけません。カジノを運営している主体は、紳士的な仮面こそ被っていますが、国際マフィアなのであり、イルミーの直属部隊なのです。
そのような者たちに一度土地を貸与してしまうと、もう返してくれとは言えなくなり、そこはまるで大植民地時代の租借地のようになってしまうでしょう。

すると、その地を梃子にして、イルミー組織は所属する行政組織に飴と鞭を活用した働きかけが可能になり、それでも従わない者に対しては実行部隊を繰り出して恐喝行為を直接行うことも可能になります。

もちろん、何よりもイルミー組織が重視するのは賭博行為から生じる収益ですが、そこには儲けに対する渇望というよりは「被統治民を裕福にしない」という悪意が秘められていることに注意すべきです。

民が豊かであればこそ地域文化が育ち、独自の個性が育ちます。しかし、それは民意を度外視した行政区画を想定するイルミーにとって、忌むべきものであり、将来の集団的反抗や反乱の火種に他なりません。
加えて、イルミー組織は日本民族を統治するにあたって、イルミナイズの程度が高い東京や神奈川といった大都市よりも、長年日本文化を担ってきた民度の高い関西地域、特に大阪を恐れています。
だからこそ、この地に深く寄生し、未来永劫その民度が高まらないように誘導したいのです。

大阪維新の会が夢洲に万国博覧会を誘致しようとしているのも、その反映でしょう。このイベントを、長年不況に苦しんできた大阪経済界はもろ手を上げて賛成しており、憲法改正に際して大阪維新の会の協力を取り付けたい安倍政権もまた、万博誘致を後押ししてきました。《註・4月13日の毎日新聞(インターネット)は、安倍総理が自民党大阪府連に対し「大阪都構想反対」と明確に告げたことを報じました。》

これを追い風にした大阪維新の会は、万博跡地におけるカジノ建設を半ば既成事実化し、テレビを通じてその青写真を何度も国民の目に晒しました。このようなやり方は、彼らの本質を克明に表すものです。

即ち、彼らは先の住民投票で示された民意を尊重する気などまるでなく、例え不愉快な事実であっても、チョイ見せを繰り返して刷り込んでいけば、住民意思を左右して受け入れさせることが出来ると考えているのです。
なんと大阪市民は、連中に見下され、舐められていることでしょう。

大阪を巡る今までの経過を観察してきて、ほぼ確実に言える事は、大阪府組織は既にイルミナイズされている(重要ポストのほとんどがイルミーに握られている)ということです。

ここに至るまでの過程で、大阪府と大阪市の相克は熾烈化したでしょうし、これは府市それぞれにおいて膨大な額の無駄な公共投資を引き起こす要因となったことでしょう。
もちろん大阪市民はこのことに辟易していますが、あろうことか「ならば大阪府に全てを委ねるしか道はない」と思い込まされようとしています。

それにしても、長寿をテーマにした万博など失敗に終わるのは自明のように筆者には思われますが、そこは大阪維新の会にとって織り込み済みで、跡地がカジノになりさえすればそれでよいのでしょう。
これが、イルミー大本営の意思を反映しているからこそ、有力な対抗馬であったフランスのパリは身を引いたのです。

さて、話を戻しますが、この問題の本質は、大阪市という名称が残りその長の選挙が行われるかどうかではありません。
イルミーにとって最も重要なことは、大阪市に対する大阪府の優位を確立することであり、それさえ実現すればカジノ建設は実現できます。

この目的のために、彼らは2度目の住民投票をこの秋に計画しています。

ここで、彼らがもう一度正しく大阪市民の民意を問おうとしているとは限りません。チョイ見せを繰り返して刷り込んでいけば民意などどうにでもなると考える連中のことです。何をするか分かりません。
ABCテレビの「勝つまでジャンケン」という言葉に腹は立ちますが、連中は「もう一度ジャンケンをしてくれるほど誠実な存在なのでしょうか?」

もし、次も負けてしまったら、カジノ建設が相当難しくなることを彼らは熟知しています。
そこで思いついた作戦は、「住民には形だけのジャンケンをさせてやってもよいが、その勝敗に関わらず、目的は既成事実化して遂げてしまおう」というものです。

日本経済新聞(ネット)の記事の最後の部分が、連中の腹の内を暴露しています。
大阪市の現行区を、4区であろうが8区であろうが統合してしまうと、イルミーにとってまだ抵抗勢力である区を連中の勢力図に取り込むことが出来るのだと考えられます。
そうして、実質的な抵抗勢力さえ消滅してしまえば、後は市の名称が残ろうが残るまいがどちらでもよいことになります。

イルミーは一度押さえた権力の椅子を決して仲間以外には渡しませんから、完全にイルミナイズされた大阪市の市長だけ抵抗勢力となったとしても、構成員が一致協力してサボタージュし、その者に仕事をさせないように出来ます。

日経新聞記事は、大阪維新の会の4区案が住民投票で否決されても、公明党の8区案に自動的に移行させる彼らの方針を明確に伝えていますが、これでは住民はジャンケンで何を出そうと負けるということです。

何と非民主的なことを思いつく連中でしょう。連中というのは、大阪維新の会だけを指すのではありません。公明党は実質的にこの問題を支配するフィクサーであり、今まで当ブログは正面切って論じることを控えてきましたが、これで公明党も列記としたイルミーの一角であることを自ら示したことになります。


ところで、大阪市の現行区を整理統合しなければいけない必然性が一体どこにあるというのでしょう?もし必要があるなら、どうして大阪維新の会はそれを説明しないのでしょう?

大阪23区が東京24区と比較して細分化され過ぎているということはなく、現行のままで何ら支障はないはずです。

むしろ、彼らの言うままに区を統合してしまったら、今後住民サービスの質が大幅に低下することが予想されます。
ちょっと考えただけでも、遠く離れた新区役所に行くことが大変な面倒であることを指摘できます。
ですが、それどころではなく、全ての区が完全なイルミー支配に屈することによって、恐らく残っていた大阪行政の良心の最後の一滴すら消滅してしまうだろうと筆者は危惧します。

大阪市を残存させるのであれば、現行区を統合する必要はありません。そこで、次なる住民投票は、「大阪の区を統合して大阪市を消滅させる」のか、「現行のまま変化を加えない」のか、二者択一の形で民意が問われなければなりません。

意思決定の選択肢に人為的な操作を加えることによって、火事場泥棒のようなことをさせてはならないのです。

しかし、思い返すに、大阪市長まで大阪維新の会の人間にしてしまった先の市長選が悔やまれます。
どうして、府知事と市長の両方を一つの党に握らせてしまったのでしょうか?
いかんせん、松井一郎氏の浪花節っぽい顔に騙されてはいけません。今その行いをこそ、冷静に分析しなければなりません。

大阪維新の会は、大阪市民に対して、かけらの愛情も有してはいません。有していたなら、今回のようなことはしません。大阪市民を「こいつらは頭の悪い木偶だ」と見下す以上のものはないのです。

そして、公明党も酷いものです。選挙民の分布を考えて、「公明党が末永く支配できる地域を作らせてやる」と鼻先にニンジンを吊るされたのでしょうが、大阪市民を欺くペテンに加担した罪は軽くありません。

そもそも、事の始まりから全ては狂っていました。それは「大阪都構想」という実体のないネーミングに象徴されています。
この言葉は、東京都に対してコンプレックスを抱く大阪市民に「大阪も都に昇格させてやるぞ」と魅惑する以上の意味は何もないのです。
意味がないからこそ、その定義を弄くることができ、今回のようなことを引き起こす土壌となってしまったのです。

考えてみてください。日本に都は二つ要りません。あれば、南北朝鮮のように国が分断されてしまいます。つまり、「都に昇格」と言っても、実質的果実は何もないのです。

そこで、「大阪都構想」という言葉は、「イルミーが盗った大阪府に何もかも牛耳らせて頂戴、そしてカジノも作らせて頂戴」と読み替えるべきです。「馬鹿野郎」と言いたいところですが、溜息しか出ません。(hiyoshikei033)


posted by 日吉圭 at 02:38| 京都 ☔| 日吉圭新作 | 更新情報をチェックする

2018年03月13日

新憲法草案における緊急事態条項をどう考えるか?

2018年3月8日の京都新聞によると、自民党の憲法改正推進本部は7日、全体会合を国会内で開き、緊急事態条項を新設する改憲案について細田博之本部長に対応を一任した。

細田氏は、大地震などの災害によって国会が十分機能しない場合、内閣が法律と同じ効力を持つ政令を制定できるなど、政府の権限を強化する条文案を軸に詰めの調整を進める。

大規模災害時に国会議員の任期延長を可能とする規定も設ける。近く最終決定する。

大災害時とはいえ、明確な歯止めがないまま内閣に立法機能が付与されれば、乱用の恐れとともに国民の私権制限が拡大しかねない懸念が残る。

災害対策基本法は国会閉会中に大災害が発生した際には内閣が政令で生活必需品を統制できるなどと定めている。

連立を組む公明党は「わざわざ憲法に明記するのは理解できない」(石田祝稔政調会長)と批判しており、他党の理解を得られるかどうか見通せない。

細田氏が想定する条文案は、緊急事態に関し「大地震その他の異常かつ大規模な災害」と明示。その上で国会が法律の制定や、予算の議決をできない場合、内閣が国民の生命、身体や財産を保護するため「政令を制定し、財政上の支出その他の処分を行うことができる」と明記した。

国会の事後承認の規定も設けた。

災害によって国政選挙の実施が困難と認められれば、国会が内閣の要請によって国会議員の任期や選挙期日の特例を定めることができるとした。

全体会合では細田氏が想定する案に加え、自然災害や武力攻撃、内乱などの際に政府への権限集中と国民の私権制限を明確にした2012年の党改憲草案と、その修正案、国会議員の任期延長に限定した案など計五つの条文案が示された。

出席者からは「北朝鮮によるミサイル攻撃、テロ、内乱も含めるべきだ」と緊急事態の対象拡大を求める意見が続出した。

また、3月6日の毎日新聞(インターネット)によると、自民党憲法改正推進本部(細田博之本部長)は、大規模災害などに対応する緊急事態条項の条文案に、政府への権限集中や、国民の私権制限の規定を盛り込む方針を固めた。

これまでは国会議員任期の特例的な延長に絞っていたが、党内に「(私権制限を明記した)2012年の党改憲草案に沿うべきだ」と異論が強く、方針を転換した。

7日の全体会合で条文案を示し、意見集約を目指す。

同本部は5日の非公式幹部会合で、災害復旧などの際に土地を強制収用したり国民の移動などの私権を制限したりする「国家緊急権」について協議。

幹部の一人は「南海トラフ巨大地震などで国会が機能しない時、国家緊急権の規定はあってもいい」と容認する考えを示した。

[PR]同本部による昨年末の論点整理は▽国会議員の任期延長▽任期延長に加えて国家緊急権を規定−−の2案を併記した。

ただ執行部は「人権制限につながる」との批判が強いことも踏まえ、任期延長に絞る方向だった。

しかし今年1月の全体会合で、石破茂元幹事長ら保守系議員が12年草案に盛り込んだ国家緊急権の明記を要求。

「任期延長だけでは国会議員の身分保障だと思われかねない」との声も出て、方針転換を余儀なくされた。

緊急事態に内乱時も含めるかなどの「範囲」は詰め切れておらず、7日に複数の条文案を示して議論する見通しだ。

一方、公明党は私権制限について「憲法上に規定する必要性は感じない」(北側一雄副代表)と否定的。

改憲に前向きな日本維新の会も慎重で、改憲の国会発議に向けた他党との協議が難航する可能性が高まる。【小田中大、田中裕之】


さて、改憲論議はかつてない高まりを見せていますが、当ブログは新憲法草案に緊急事態条項が加えられる可能性を深く憂慮してきました。ですが、上の記事が示すように、それが実現する機運がいよいよ高まってきました。

本来、憲法というものは、国家の成り立ちを定める以上に、主権者である国民の基本的な人権が犯されることのないようにその保護を宣言する、すべての法規範の上に立つ根本規範でなければならないものです。

であるのに、「国家の非常事態には基本的人権の保護が解かれる場合がある」と定めるのが緊急事態条項であり、公明党が主張するようにわざわざ憲法に明記する必要のないものです。

というのは、非常事態に対処するには、発生が想定される事案ごとに緊急事態法(災害対策法等)を制定して備えるという方法があるからです。

実際に緊急事態が発生してから、法の運用が適切であったかどうかの検証は事後的に行えばよく、賠償問題も含め裁判で審理していけばよいのです。

そして、仮にその折に法が違憲であると判断されたならば、賠償を行った上で国会で議論し、再度適正な緊急事態法を制定し直せばよいのです。

にもかかわらず、新憲法条文に緊急事態条項を加えようとする為政者側の思惑においては、個々の非常事態に適切に対処せんとする要請よりも、後々の問題再燃を憂慮することなく、大規模に私権を制限できる時代を演出せんとする要請が勝っていることを白状しています。

つまり、緊急事態条項は、まさかの時の保険では決してなく、テロを梃子にした社会変革を目指す者たちにとっては必要不可欠な要素なのであり、それ自体が目的であるとすら言えましょう。

ここで、イルミー組織の基本理念は独裁主義であり、共産主義であることを再確認したく思います。

より表現に正確を期すならば「イルミー理念が歴史的に発露された一形態が共産主義思想」なのであって、その本質を理解することはイルミー組織の本質を理解することにつながります。

よって、イルミー組織にとっては民主主義憲法など邪魔物なのであって、実質的に日本の植民地化はほぼ達成されているのですから、そんな国に何故彼らは新憲法制定の機運が生まれるのを放置しているのでしょうか?

その理由は、現在日本国民が戴いている憲法は、例えそれがどれほど不完全なものであろうとも「基本的人権への保障が停止されるケースについて何一つ定めていない」からです。

イルミーは革命による世界変革と統一を目指しており、2011年頃中東諸国を襲った「アラブの春」と呼ばれる民主化革命運動や2016年トルコを襲ったクーデターなどは、その魁と言えます。

彼らは当然、この日本国においても、戦争や内乱による政権奪取を計画しているでしょうが、もしそれに成功したとしても、現行憲法を戴いたままでは、後に行いの一切を違憲行為として否定されてしまうかも知れません。

だからこその新憲法制定なのであり、一見反対しているように見える野党も、腰の重い公明党も、本当は新憲法制定に積極的であると思われます。

但し、イルミーにとって新しい民主主義憲法は、その基本的人権への保護を停止させるためにこそ必要とされているのであり、消すための憲法であって、だからこその「緊急事態条項」なのです。

ところで、3月11日現在も、国会は森友文書問題で空転しています。

昨日「財務省が学校法人・森友学園への国有地売却に関する決裁文書に書き換えがあったと認める方針を固めた」と報じられ、マスコミはそれを麻生太郎副総理兼財務相の進退問題に発展させようと猛り狂っています。

現国会の、働き方改革などに関する集中審議において「森友学園問題を巡って財務省の決裁文書が書き換えられた疑いがある」という論点が急浮上したのは3月5日ですが、これが現政権による緊急事態条項に対する方針表明と期を一にしていることは注目すべきです。

つまり、現政権が緊急事態条項の適用を大自然災害時に限定する文言を条文に記す方針を知って激怒したイルミー組織が、ならばと安倍首相と麻生副総理の首を狙って、とっておきのカードを切ってきたというのが実情でしょう。

この問題の真偽のほどはまだ明らかではありませんが、仮に野党の主張する通りだとしても、これは改憲を控えて実のある議論がなされなければならない日本国民にとって、貴重な時間を大幅に割いて議論されねばならないようなことなのでしょうか?

そもそも、このようなことは長年の慣習として行われていたとしても、元来表になるはずのないことでした。

しかも、財務省ほどの省庁が組織ぐるみで隠蔽しているならば、なおのことです。

それが表になったのは、今やどの省庁にもその細胞を有しているイルミーが、克明なインサイダー情報を得ているからに違いありません。

ですが、その情報を漏らしている者は所属組織を裏切っているのであって、公務員の守秘義務に反して行われた情報漏えいがまったく問題にされないのは、片手落ちな気がします。

不正な手段で得られた証拠に証拠価値はないからです。

その者は正義を行っているから許されるというのでしょうか?

証拠が不正に得られたことがばれなければよいのでしょうか?

いやはや、野党も議論すべきことを正攻法で主張すればよいのに、やましさを抱えているから表に出来ず、絡め手から攻めてばかりです。

結局、国民の利益など誰一人考慮しておらず、自分たちの利益だけを追っているのです。

そのような者たちが、「方便で形だけは正義を主張したらまかり通る」先例を作ってよいものでしょうか?

真正面から攻められず、やましさを抱えて陰からこっそり足を引っ張ろうとする輩は、惨めに失敗すればよいのではないでしょうか?

マスコミがまず狙いを定めているのは安倍政権の大黒柱である麻生氏でしょう。そして、あわよくば安倍政権を総退陣に追い込み、自分たちの陣営に属する石破茂氏を自民党総裁にして、憲法改正の大任を背負わせたいのでしょう。

毎日新聞の記事は、はじめは緊急事態条項の設置に消極的であった現政権執行部に、設置を認めさせた張本人が石破氏であることを明確に伝えています。

仮に、現行の細田案のまま緊急事態条項が設置されてしまえば、それは大自然災害時に適用を限定していますので、国民に議論する暇を与えないままテロによる社会変革を断行したいイルミー組織にとって、野望を断ち切られたことになります。

だからこそ今、イルミーはマスコミの総力をあげて森友文書問題を大合唱させているのです。

しかしながら、一度獲得した権力の椅子を自分たちの仲間だけで持ちまわりにしているイルミー組織こそ、卑怯さの権化であって、不平等・エコ贔屓の具現化に他なりません。

このような者たちが、偽善の方便を使ってまんまと野望を遂げてしまっては、社会は闇に覆われます。

また、安倍総理の昭恵夫人がその影響力を行使して行ったことであるならば、その責任を安倍総理に問うのは少し筋が違っているようにも思えます。

彼のほうが、尻に敷かれている可能性もあるでしょう。

ましてや、官僚による自発的な忖度問題に過ぎないのならば、国家をあげての大議論をする意味が分かりません。

ここで、もう一度大切なことを反復しましょう。

イルミー組織とは、西洋文明が孕んできた毒そのものであり、その日本国内にいる追随者たちは、日本国民の幸福と富を他国に売り渡すことによって、己の富を増やそうとしている者たちです。

そんな者たちが叫んでいる、方便としてだけの正義に、貸してやる耳などありません。

もし、日本国憲法にテロや戦争時の適用を広く認める緊急事態条項をつけられてしまったならば、日本国民は先の大戦で流した尊い血によってあがなわれた基本的人権への保障を失うことになります。

そしてそれは、私たちが「祖国」と呼べる実体を失うことと同じです。

そのような事態を回避するためならば、どれほどの強情も許されるでしょう。

少なくとも、私たちが自分たちを滅ぼそうとする者たちの口車に乗せられて、その思惑通り踊らされる愚は避けねばなりません。

日本人は今や平和呆けしてしまっているので、「そもそも緊急事態など起きるはずもない。しかし、仮に起きたとしてもその緊急事態さえ過ぎ去ってしまえば、我々は真の憲法を手に出来る。だから、目くじらを立てることはない」と言う人が多い事でしょう。

とんでもないことです。

イルミーは彼らの望む革命を実行するために緊急事態条項を必要としているのであって、それが実現してしまったら、政権中枢は何百年もイルミーの持ち回りになり、かつての民主党政権のような時代が延々と続くことになります。

そして、恐るべき監視社会がやってきます。

そうなったら、私たちは形だけはどれほど民主的な憲法の文言を押し戴いていようとも、その効力が己が身に及ぶことは期待できなくなります。

そのような事態になったら、筆者が今まで危険を冒しつつ筆を取ってきたことがすべて水泡に帰したことになってしまいます。

もう少し説明しましょう。

個々の法律が適切に運用されるためには、訴訟というプロセスが必要となりますが、為政者に望まれない種類の訴訟を起こせば、一見無関係に見えるあらゆる災厄が己が身にふりかかることを経験から学べば、もはや誰一人訴訟など起こせなくなります。

訴訟が存在しなければ、問題は存在しないことになり、新憲法は適切に運用され、人々の基本的人権は守られていることになります。

そんな吐き気を催す、民主主義の仮面を被った共産主義的独裁時代が忍び足で近づいているのです。

この3月9日にはアメリカのトランプ大統領が、北朝鮮金正恩委員長と、朝鮮半島非核化に向けて首脳会談を開くことが報じられ、世界を驚かせましたが、この交渉は挫折する可能性が高いと思われます。

イルミーは日本で革命を実行するために、その思惑通り動く北朝鮮という国家を必要としており、その手からテロを実行する手段を取り上げさせることを許すはずがありません。

私たちは、首脳会談決裂後に恐るべき緊迫の時間が来ることに思いを致し、日本国体を揺るがすテロの脅威が目前に迫っていることを忘れてはなりません。

時代は、煮詰まってきています。

今は、もう20世紀ではなく、21世紀なのです。

私たちは最悪の事態を頭に入れて、備えを怠ってはなりません。

イルミーはテロを自在に操ります。

為政者が望む時に都合よく停止させられるような憲法は存在する意味がありません。

それならば、私たちは例えどれほど瑕疵が目立つ憲法であっても、旧憲法を押し戴いていたほうがよいことになります。

とは言っても、世界的にみて、憲法に緊急事態条項を備えることは時代の風潮とも言え、現政権にそれを無視した独自路線を期待するのは難しいでしょう。

そこで、大自然災害時に限り、国会議員の任期延長を認めるような形で、緊急事態条項を設置することは許容したいと思います。

但し、これに「テロ・戦争時も」という文言が加わることによって、憲法は全く異質なものに成り下がるのであり、そのような運びになれば当ブログは渾身の憲法改正反対の論陣を張るつもりです。

ロシアや中国を想起するまでもなく、一度でも悲しい時代を現出してしまったら、その民族はもう千年立ち上がることはなくなります。

この日本国がそのようなことになってはならないのはもちろん、むしろ私たちは行き詰った西洋文明とは異なる価値観で新世界を打ち立てる責任があると思います。

この世界の最後の希望と言ってよい日本社会が、無残にイルミーに完全制圧されるようなことがあってはなりません。

私たちは、盲目的な西洋追随という愚かさから、そろそろ脱せねばならないでしょう。(hiyoshikei032)
posted by 日吉圭 at 20:40| 京都 | 日吉圭新作 | 更新情報をチェックする

2017年10月12日

小池新党・希望の党を介して始まったイルミー政党大合同

2017年09月27日、読売テレビの情報ライブミヤネ屋を見ていると、信じがたい速報が入って来ました。

なんと東京都小池百合子都知事の肝いりで成立したばかりの国政政党「希望の党」に、民進党がその党名も消してまるごと合流する方向で調整中と言うのです。

かつての民主党が、民進党と名を改めたのはつい半年前だというのに、党ごとこぞって海のものとも山のものとも知れない小池新党と一つになるというのだから驚きです。

民進党の党首に就任したばかりの前原誠司代表の最初の仕事は、党を消し去ることになった訳ですが、全くなんと不吉な男なのでしょう。

前原氏は「名を捨てて実を取る」と言いつつ、28日の党会議では民進党員全員が希望の党から公認されることを高らかに宣言しました。

ところが、希望の党代表に就任した小池氏は「それはない、選別する」と発言したので、民進党は分裂し、リベラル派議員たちが立憲民主党を立ち上げました。

その前原氏が新代表に就任して間もない25日、細野豪志氏が民進党を離党して希望の党に入り、小池氏の懐刀である若狭勝氏と新党の協議に入りました。

その報に接した前原代表は、大臣経験者である党重鎮の造反に激怒してしかるべきでしたが、「細野氏は可愛い人だ」と余裕のコメントでマスコミを煙にまきました。

今思えば、この二人は最初から結託していたのでしょう。

つまり彼らは、看板を掛け変えても沈む定めの民主党という船から、乗り移る新船を探しているネズミたちだったのです。

細野氏は民進党会議が希望の党との合流を了承して後、「三権の長経験者は入党をご遠慮頂きたい」と言って、首相経験者で希望の党入党を予定していた菅直人氏と野田佳彦氏を強く牽制しました。

このことは一見、前原氏の顔に泥を塗ったようにも思えますが、両氏が裏で繋がっていたと考えると合点がいきます。

すなわち、新船に一緒に乗られたのではまた沈む定めになる、東日本大震災で国民の怨嗟の的となった菅・野田両氏を切り離すのが二人の目的だったのでしょう。

そのために両氏は、党の内外でそれぞれの役目、つまり、内の前原氏は「新船に全員乗り移れる」と嘘を言って党員を引き連れる役目、外の細野氏は菅・野田氏を門に入れない役目を果たしました。

しかし、悪行で名高い親分さえ切り捨てれば、子分の自分達は守られると信じている浅はかさに呆れかえります。

日本の有権者はこれで騙される程、愚かなのでしょうか?

とにかく、民進党が、構成員の大部分がイルミーの政党でなければ、青二才の前原氏が、解党という重い問題につき党員全員の了解を、たった1日でとりつけられる訳がありませんでした。

彼は欧米イルミー幹部の命令を受けていることを知っているからこそ、皆その方針に従ったのです。

ところが、イルミー幹部は菅・野田両氏の切り離しを画策していました。

菅・野田両氏からすれば、東日本大震災時の偽善を駆使した残忍な振る舞いは、欧米イルミー幹部の命令を忠実に履行したからに他なりません。

そして、それをやり遂げた自分達は、厚遇を受けて当然と思っています。

にもかかわらず、用済み部品の如く扱われる心中はいかばかりでしょう。

ただここで勘違いしてはならないことは、イルミーが軍隊組織であるということです。

よって、見かけ上どの党に所属しようとも、菅・野田両氏は階級に応じた権力を前原氏などに対しても維持し続けるということです。

さて、ここで視点を変えて、希望の党代表小池百合子氏について論じましょう。彼女は、自民党小泉純一郎総理の元にあり、その後小沢一郎氏の新進党の立ち上げに参画しました。

民主党の面々は皆、かつて新進党に所属していたのであり、彼女は前原氏とも共に仕事をしていた仲です。

ここで、自民党小泉元総理は国民から保守本流と見なされているので、小池氏も同じ系列と思われる傾向がありますが、それは間違いだと申し上げておきます。

当ブログは自民党内にも多くの覆面イルミー構成員がいることを指摘してきましたが、小泉氏などはその最たる者です。

よって、石破茂一派などと、いずれイルミー勢力に合流することが予想されます。

自民党寄りかもしれない小池新党が、民進党から全幅の信頼を得たのは、こういう訳です。

いかんせん、都議選で旋風を起こした小池氏のお里は、腹心の若狭氏が民進党出身の細野豪志氏と組んだ時点で明らかになりました。

加えて、小沢一郎党首の自由党と選挙で対立候補を立てない約束をしたことで、より鮮明になりました。

また、先の都議選において、彼女は自らの私塾から選んだ候補者を立て、多くを当選させて小池旋風と呼ばれましたが、これは考えてみるとおかしな話です。

そもそも、ポンと私塾を開いて数ヶ月で優秀な人材が集まって来るでしょうか?

かつ、それらの人材が現在の仕事を投げ捨て、小池さんに人生を託してくれるでしょうか?

優秀な人材ならば、大概既に大きな責任を背負っているでしょうし、そんな人が戻って来れないかも知れないのに、職場を捨てる筈がありません。

そこで、これらの人々が、何らかの見えない組織から庇護を受けているらしいことは、子供でも分かる道理です。

つまり、小池旋風はずっと昔からお膳立てされており、イルミー構成員の中から人材の選定はなされていたのでしょう。

彼らはイルミー構成員だからこそ、都議になった後も元の職場に復帰できる自信があり、後顧の憂いなく渦中に身を投じられたのでしょう。

このからくりを偶然の出会いにカモフラージュした小池氏は、有権者を欺いており、全てのイルミーがそうであるように、まともな政治家とは言えません。

さらに、30日、希望の党と大阪維新の会(その後日本維新の会と改名)が、東京と大阪で対立候補の擁立を避ける合意に至ったことも、重要です。

対立候補を立てないということは、政治信条が一致しているということで、実質的には合流であることを力説しておきます。

当ブログはかつて、日本維新の会がイルミー政党である可能性を説き、彼らの民主党への合流でそれは裏付けられました。

大阪維新の会は、日本維新の会から喧嘩別れして独立した政党ですが、いさかいは見え透いた芝居であり、遜色ないイルミー政党と思われます。

その正体がやっとここに来て、明らかになりました。

とにもかくにも、このイルミー大新党の成立を、見くびってはなりません。彼らは、いずれ自民党の一部とも合流し、公明党とも合流するだろうからです。

連中は「巨大な安倍政権には対抗馬が必要」と、ひ弱な振りを装っていますが、既にイルミー大新党の方が優勢であり、バランスを取るつもりで思慮の足らない投票をすると、取り返しのつかないことになります。

イルミーとは日本の外、米英や韓国に本拠を置く外国勢力なのであり、連中に日本国を乗っ取らせないために、今ここで希望の党を手酷く惨敗させねばならないことを肝に銘じましょう。

では最後に、何故希望の党が自民党同様に改憲を目指すのかを論じましょう。

過去に何度も述べたように、イルミー勢力の本質は独裁主義、共産主義であり、立憲主義とは全く相容れません。

その彼らが「改憲」という偽善の方便によって目指すことはただ一つ、現行憲法に「非常時における憲法停止条項」を付け加えることなのです。

自民党石破氏が、既に小池氏に改憲に関する協力を持ちかけているのはこのためでしょう。

ここで「憲法が停止されるような非常事態がおいそれと起きる筈がない」と、高をくくってはいけません。

当ブログが力説してきたことですが、北朝鮮を影から操っているのも、国際テロ集団幹部を育成し資金を与えたのも、イルミー勢力なのです。

よって、彼らは戦争や連続テロといった大惨事を、望む時に引き起こし、望む期間だけ継続させることが出来ます。

ここで、何年も非常事態が継続すれば、実質憲法が消滅したのと同じことになります。

そして、まとまった時間憲法が停止されると、その間にイルミー勢力が欲することを全て為されてしまいます。

すなわち、良民の資産は奪われ、社会からイルミーに抵抗する勢力は一掃されてしまうでしょう。

民主主義に敵対する勢力であるイルミー組織は、現行憲法に憲法停止条項をつけるという一点だけに、今は力を集中させているようです。

穏健保守の仮面を被った、希望の党や大阪維新の会が、盛んに自民党と連携した改憲を叫ぶのは、このためなのです。

繰り返しますが、改憲において彼らの頭数に頼ってその要求をいれてしまうと、民主主義憲法は実質消滅したのと同じことにされ、独裁下で恐怖統治時代が始まってしまうことを、心に刻みましょ
う。(hiyoshikei031)
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2017年08月17日

イルミーに捧げる詩(うた)

あなたはイルミーという地獄を知っているか?

その地獄に親の代から入っていて、当たり前に吸い込まれる者もいるが、多くは誘われて入るものらしい。

今をときめくロックバンドも、美貌の大女優もお仲間だと聞かされて、田舎者はバスに乗り遅れるなと、後先考えずに入ってしまうそうだ。

そして、入った当初は楽しいらしい。人間関係がボロボロになったこんな時代に、イルミーの中だけは暖かい風が吹いているように人は感じるものらしい。

いつも秘密の回線でつながった仲間がいて、自分は皆から好かれていると孤独な奴ほど身に染みて、嬉しくなるものらしい。

けれども、そこは地獄である。

長くイルミーに身を置いて、組織の階段を登り始めて、気がつくだろう。全ては見せかけだってことに。

それもそのはず、イルミーの武器二本柱は偽善と裏切りだ。

口先だけの嘘八百で他人を陥れ、破滅させる。また職場規律を裏切って機密を漏らしつつ、影で赤い舌を出している。

そんな集団に人情など育つはずもなく、誰も彼も道具として利用されているだけだ。

こんな子供でもわかる道理に人は気づかず、また気づいても気づかぬように、自分を訓練するものだ。

そう、イルミーのあなたはゾンビの群れに落ちた哀れな人間なのだ、もしあなたにまだ人間が残っているならば。

仮にありのままの真実があなたの眼に映ったら、震え上がらずにはいられまい。

しかし嘘の世界に馴染んだあなたにとって、何よりも恐ろしいのは仲間外れにされることだ。

誰からだって、ゾンビたちからだ。

虚構世界だと薄々わかっていても、孤独よりはましなのだ。

あなたは抜けようとした者がどんな目に遭うか知っているから、恐怖の縄で縛り上げられており、一生虚構世界の住人で満足するしかない。

そして、このみすぼらしい真実から目を背けるために、極めて傲慢になり、貧しく不遇なものを見下して、受けた恐怖を他人に転嫁しようとする。

我々というオロチに逆らったら、ただでは済まないぞと凄むのだ。

ああ、痩せさらばえたゾンビ疑似体よ、お前はただ迷惑なだけの自己肥大だ。

お前の精神の虚構が、この世界を汚し歪めているのだ。

イルミーの脳は逆転しているから、イルミーでない者が汚点に見えるのだが、脳をくるんと元に戻せば気づくはずだ。

あなたこそが汚点だってことに。

イルミーは要職を独占し、自分たちだけが才能を発揮できると誇るのだが、イルミーの誰一人として才能など有してはいない。

癌はどんなに蔓延っても、臓器を作ることはできない。

イルミーの誇るどれほど高名な学者であってもそうである。

そんなイルミーだけで、社会は作れない。

にもかかわらず、あなたはイルミーでない者を軽蔑し、逆らえば憎み、姑息な手段で陰から破滅させて恥じるところがない。

断言しよう、イルミーの世界にはひとかけらの愛も存在しない。

そんな場所で人は生きられないのだが、イルミーは嘘の世界に没入することで苦痛を回避する。

言い替えれば、イルミーは嘘の監獄に閉じ込められた囚人なのだ。

虚弱なあなたは、敢えて不愉快な真実を見つめる勇気などなく、一生嘘に浸ったまま死んで行く。

この世界の真実を知ることこそ、生きている大きな目的の一つだと言うのに。

つまりイルミーは、頭は惚け目も虚ろなヤク中と同じである。ゾンビな上に薬中毒なのだ。

だが不思議なことに、盲目のあなたは自分たちこそ世の真実に通じた支配者であると嘯く。

仕事柄親分の悪行を知っているので、悦に入っているのだ。

確かにイルミー幹部の悪知恵は大したものかも知れないが、それはあなた自身の知恵ではない。

あなたはと言えば、この世界を変えるどんな小さな力も持たぬ奴隷に過ぎない。何もかも親分の言う通りにしなければならぬ、何一つ自由意思を発揮できない哀れな奴隷なのだ。

それは違うとあなたは怒るだろうか。

仕事は任されており、各イルミーはそれぞれ自由意思を発揮していると。

違う。あなた方は誰でも出来る単純労働を、親分の機嫌を伺いながら、やらされているに過ぎない。

そもそも長年の奴隷稼業が身に染みて、人たる者の自由意思とは何かが、判らなくなっているに違いない。

ここで読者に、ある人がイルミーであるかどうか目安をつける有益な方法を伝授しよう。

頭がお金のことで一杯になっている人がイルミーの可能性があり、金など二の次で人生を楽しむ豊かな尺度を持っている人がイルミーでない。

頭が金のことで一杯の人は、やたら勝負にこだわるからそれと分かる。

イルミーは序列社会だから、構成員は常に自他を比較し、ある時は見下しある時は嫉み、決して満足を知ることがない。

それは、構成員が満足したら残忍で卑劣な仕事をやらなくなるから、常に蓄財の向上心を失わないようデザインされているのだ。

つまりイルミーは、階級を上げるほどに激しく憎み合い、ライバルから見下される惨めさから抜け出そうと切磋琢磨する。

ということは、例え資産数百億の大富豪であっても、その心性は乞食と同じなのである。

そもそも組織から疑念を持たれたくないから、金の使い道は知れており、自分の金というよりは親分の金だ。ならば、積み上げられた金に意味はなく、まるで毒入りと知るお菓子の家に住む子供のようだ。

満足出来ないならば無一文と同じで、ヤカンの水を飲み干しても一向に渇きが治まらない糖尿病患者と変わらない。

つまりイルミーになるということは、誰もが持つ幸福を溜める壺の底に、穴を開ける行為に他ならない。

その穴を塞ぐことは、組織から脱会しない限り不可能だが、およそ望むべくもない。

ということは、すべてのイルミーは不幸のどん底にいるのである。

さて以上のことを踏まえて、イルミーに加入することは、生きながら地獄に墜ちることに等しい。

そんな亡者のような連中が、われらこそ社会のリーダーだと吠えている。

また、自分たちに逆らう者に卑劣な集団ストーカー攻撃を仕掛け、苦しめつつどうだこれが世間だと吐き捨てる。

世間なものか。大口をたたく前に、まず鏡に映る己の姿を眺めて、自分たちが人間の屑でないかどうか自問自答してみるがよい。

集団ストーカー参加義務、つまりターゲットに対する攻撃的つきまといを行うため命じられた場所に駆けつける義務は、いかに高位のイルミーであっても免除されないらしい。

つまり、イルミーになるということはストーカーになるということと同じだ。

この義務から自由になれる年齢はない。すなわち、ストーカー義務は終身義務であり、髪が白くなっても、その時の持病がいかに疼こうが、断ることはできない。

仮に大病をしたとしても、その病気を口実にできるストーカー行為をやらされる。

そして、もしこの忌まわしい義務をさぼったと見なされれば、集団から徐々にいじめの標的にされていく。

ここで、その者がどれほど裕福であろうとも、どれほど社会的地位が高かったとしてもお構い無しだ。

そこには人間性は存在せず、人生の尊厳もない。(hiyoshikei30)
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2017年07月12日

カンテレ「バイキング」への石破茂緊急生出演を受けて

2017年7月7日のカンテレ「バイキング」に自民党の石破茂氏(前地方創生相)が緊急生出演しました。

それに先立つ、7月2日投開票の東京都議選に自民党は歴史的な惨敗を喫し、その現有議席数を57から23議席へと激減させました。

そして、第二次内閣以来安定した支持率を誇っていた自民党安倍内閣は最低支持率を記録し、初めて不支持率が支持率を上回りました。

それを受けて安倍首相は来月にも内閣を改造することを決断しました。

さて、従来より石破茂氏を自民党内のイルミー寄り勢力と見なす当ブログは、安倍首相の人気低迷時に彼にスポットライトを当てようとするこのような動きに警戒します。

それにしても、安倍内閣が此処まで支持率を下げた原因は何だったのでしょう?

それは言うまでもなく、先の6月15日現内閣が共謀罪の趣旨を盛り込んだ組織犯罪処罰法改正案(テロ等準備罪処罰法)を国会で可決成立させたからです。

民進党をはじめとする野党勢力が内閣不信任案を盾に法案成立を断固阻止しようとしたのに対し、与党勢力は採決を強行して可決しました。

いかんせん、この国会審議中、従来の刑法の構成要件該当性を大幅に緩和する法案の孕む危険性が国民に十分に説明されたとは言い切れず、不安になった国民が「小池新党」という未知数の政党に大きく舵を預けた形になりました。

しかし、待ってください。かつて郵政民営化を掲げる自民党小泉首相や、自民党麻生内閣の非を鳴らした民主党が選挙で大勝し、時代は大きく変わりましたが、その結果私たちを取り巻く環境がよくなったでしょうか?

これら大きな政治的うねりの立役者は言うまでもなくマスコミで、私たちは追い立てられる羊の群れのようにその進む向きを変えられてきましたが、今回もちょっと妙なにおいがしませんか?

そもそも、共謀罪の審議がおろそかになり、国民に十分な情報提供がなされなかったのは、正攻法を捨て、相手の揚げ足を取る姑息な戦略に終始した民進党をはじめとする野党勢力の責任ではないでしょうか?

この動きのはしりは今年4月の安倍内閣閣僚今村雅弘復興相の問題発言でした。

二階派の今村復興相は信じられないレベルの失言を繰り返し、それを問題視した野党は共謀罪の審議を何度もボイコットしました。

「今村復興相の首を取る」といきまくマスコミに熱くなり、二階自民党幹事長まで火に油を注ぐ発言をしましたが、石破茂地方創生相はフジテレビ番組で「あらゆる批判に晒されるのが政治を行う者の仕事だ。批判がないと民主主義は死んでしまう」とマスコミを擁護する発言をしました。

さて、ここで一つ注意しなければならないことがあります。

どんぴしゃり野党が望むタイミングで成された失言が、野党と組んで故意でなされていたという可能性です。

自民党内にもイルミー勢力は腐るほどおり、当ブログは二階氏を怪しんでいます。

二階派の今村氏のあまりに愚か過ぎる失言は、野党と組んだマッチポンプの可能性が十分に疑われてしかるべきものです。

この今村発言に端を発した野党の揚げ足取り戦略は留まる所を知らず、森友学園問題、加計学園問題と安倍政権の身贔屓な体質を攻め立てました。

マスコミはもちろん野党と足並みを一つにしたので、国民は3ヵ月もの間、テレビで煮え切らない政治的駆け引きをこれでもかと見せ付けられたのです。

そして、貴重な国会審議は大部分両問題の責任追及に浪費され、日々繰り返される不透明な議論の応酬に国民は疲れ果てました。

この倦怠感に止めを刺したのが、秘書による豊田真由子衆院議員の醜態隠し撮り暴露であり、稲田防衛相の失言問題でした。

ここで、稲田防衛相の失言問題は追及されてもしかるべきものでしたが、豊田議員の失態暴露問題は低俗なゴシップ報道と言えるもので、マスコミの本質をまざまざと見せ付けました。

そこで、筆者は豊田議員失態問題がテレビで大々的に取り上げられ、彼女の絶叫が各局から垂れ流しにされたのは何日から始まったか調べてみましたが、分かりませんでした。

何故なら、この事件は新聞記事にすらなっていなかったからです。

これが初めて新聞で取り上げられたのは、豊田議員から叩かれ罵声を浴びせかけられた秘書が提出した被害届が、警察に受理された6月28日でした。

少なくとも6月22日には豊田議員の失態問題が大々的に取り上げられていたことは分かっていますが、彼女の絶叫は七夕の今日も各局から垂れ流しにされています。

ということは、私たちはもう2週間も女性らしさのかけらもない猛獣のような絶叫を日々聞かされ続けてきたことになりますが、数日も報じれば十分伝わる報道をここまで引き伸ばすのはおかしくないでしょうか?

ともかく、国民に蓄積された不快感が今回の都議選の選挙行動に反映されたことは疑う余地がありません。

私たちは、森友学園問題、加計学園問題、稲田発言とうんざりさせられ続けてきましたが、不快感の総仕上げとして豊田議員の絶叫を聞かされることがなければ、その現有議席を半分以下にするという自民党の惨敗はなかったでしょう。

確かに、森友学園問題、加計学園問題、稲田発言はそれぞれ真剣に考慮されねばならない重みを抱えた問題です。

仮にこれらが野党の揚げ足取り戦略だったとしても、その報道を繰り返したマスコミに落ち度はありません。

しかし、マスコミにこの日本社会を改善しようとする意欲などなく、もっともらしい問題にかこつけて心理操作だけを目指してきたことは、豊田議員罵声垂れ流しで明らかになりました。

確かに、自民党豊田女史の衆院議員としての資質は首を傾げさせられるものですが、2週間もだらだら報道を引きずるような問題ではありません。

哀れ私たちはマスコミからサル扱いされて、まんまとしてやられたと言えましょう。そして、各局の足並みが一斉に揃ったのは、それが米英のイルミー本部から出た大号令だったことを示唆しています。

このマスコミの卑劣な意図は、石破氏が緊急生出演したカンテレ「バイキング」にも十分反映されていました。

まず、番組は出演した政治評論家等に対してはその所属・氏名を書いたプラカードを立てて発言責任の所在を明らかにしていましたが、出演した5人のコメンテーターに対しては、番組冒頭に名前をチラ見せしただけでした。

それは、東国原英夫、土田晃之、橋本マナミ、南希美子(元アナウンサー)、木之本亮(俳優)の5人です。

さて、読者は最初の3人はよく知っているものの、後の2人は誰かピンとこないのではないでしょうか?筆者もそうでした。

デジタルテレビには番組情報を示す機能があるので調べてみましたが、そこには最初の3人の名前しか記されていませんでした。

ところが、番組内で坂上忍MCから総括的発言を求められるのは南、木之本の両名だけなのです。

2人は嫌味が少なくかつ押しの強いおばちゃん、おっちゃんの代表格という感じでしたが、この2人はマスコミ露出度が少なく、つまり手垢のついていない存在だったからこそ、一般視聴者が感情移入しやすい人物だったのではないでしょうか?

この両名の発言は決して理性的ではなく、むしろその対極でした。つまり、低俗で感情的な意見ばかりを述べ続けていました。

しかし、そうだったからこそ、視聴者は「うんうん」と頷いてしまったのではないでしょうか?

両名を世論操作の道具として巧妙に使いこなしつつ、その一方批判は受け付けたくないという番組の態度が、見え隠れしていました。

こんな番組に、石破茂氏は出演したのです。番組はその冒頭で豊田議員の罵声を流した上で、坂上忍MCは石破氏に意見を求めました。石破氏は「どうしようもない」と評した上で、自らが自民党幹事長であった時の任命責任を恥じました。

ところで、石破氏は番組から決して安倍政権の閣僚としては扱われず、むしろその批判者として次期総裁候補の扱いを受けていました。

当ブログが怪しむ東国原英夫旧宮崎県知事などは、「私は筋金入りの石破派です」と叫んで、尻尾を振っていたほどです。

石破氏が「安倍氏に代わりうる者」として自らの存在を示していたのは、石破派水月会に所属する後藤田正純議員の執行部批判発言が石破氏の面前で示されたことから明らかです。

後藤田氏は、都議会選の応援演説で安倍政権を批判したことを官邸から攻められたことを不服とし、「密告、引き締め、礼賛、おかしな管理をしている今の自民党執行部が惨敗したのも仕方がない」と発言したことが引用されました。

そして、この番組の討論の中に、マスコミの本質をさらけ出す、理性を疑いたくなるようなものもありました。

番組は、都議会選挙で応援演説に立った安倍首相に対し「安倍やめろ」の大シュプレヒコールを送り続けてその発言をかき消そうとした傍聴者群衆に対して、「私たち自民党は絶対にこんな選挙妨害はしません。こんな人たちに私たちは負ける訳にはいかない」と安倍氏が発言したことを問題視したのです。

番組は「彼らもまた有権者だ」と言うのですが、民主主義の大原則である言論を妨害して消滅させようとする人々に肩入れするのは、その基盤を言論に置くマスコミのすることではありません。

さらに番組は、安倍首相の発言を「(問題が)全くあると思いません。民主主義国家の許容範囲で極めて常識的な発言だ」と記者団に説明した菅官房長官の言葉も問題視しようとしました。

彼の発言のどこがいけないのでしょうか?筆者は民主主義国家の言論の幅を為政者側から保証してくれるありがたい発言だと感じます。

当ブログも、文字化けする、上乗りサイトに囲われて文章を消される、各種検索にかからないなど、様々な閲覧妨害をイルミー組織から受けていますが、何一つ正義はなく議論に持ち込んでは歯が立たない連中だからこそ、言論に妨害を加えるのです。これを許してはなりません。

そもそも、この魑魅魍魎が跋扈する世紀末の政治状況において、どんな報復を受けるか知れたものではないのに、一国の首相発言をスクラムを組んでかき消そうとする人々が野党の後ろ盾を得ていないということはあり得ません。

番組は「その証拠がない以上、有権者として尊重せよ」と言うのでしょうが、イルミー組織の存在証明が難しいことを逆手に取って、増長しつつ仲間を弁護する行動でしかありません。

海の向こうアメリカでは、CNN批判など反イルミー的言動が目立つトランプ大統領の就任に際して、「NOT OUR PRESIDENT」というプラカードを掲げたデモが全米各地で発生しましたが、安部首相発言をかき消した群衆とダブります。

この行動は、クリントン女史側のイルミー勢力には、民主主義のルールに従う気などさらさらないことを露呈しています。

言うまでもなく、民主主義とは、紛争ではなく言論と選挙によって国体を決めるもので、選挙期間中こそ自由な議論で批判の応酬こそするものの、選挙が終われば一致協力して国家運営に参加するというシステムです。

であるのに、選挙は平和裏に終わっているのにその結果を受け入れず、デモで自分たちのエゴを貫こうとする彼らは共産主義勢力に他ならないことがお分かりでしょう。

見えないスクラムで自分たちの望む社会形成ができると信じている彼らは、赤信号も集団で渡ればやったもん勝ちになるとする、ルール無用のならず者たちなのです。

番組内で石破氏は、「自分も都議選で野次られてカッとなりそうになったが、それを実際にやってしまっては資質が疑われる」という論理で、安倍首相をやんわり批判していました。

では最後に、共謀罪について論じましょう。この法律は本当に悪法なのでしょうか?

そもそもこの法律が求められたのは、東京五輪を平和裏に開催するために、日本警察が国際テロ組織に対抗できるようにするためでした。

国際テロを行う勢力もイルミー組織の一端ですが、日本国内にもイルミー組織の息のかかった人々が数多くいます。

そうした人々にその存立基盤を置く野党は共謀罪を将来的な脅威と見なして戦慄し、死に物狂いの大反対運動を成したのでした。

ところが、このことは正々堂々と主張できる反対理由とはなりません。そこで、野党は揚げ足取りの搦め手戦略に終始したのです。

そして、一般大衆には、「この法律は戦前の治安維持法と同一だ」と思わしめる思考操作をなした上で、詳細な議論抜きで反感だけを煽ってきたのです。

それにしても、野党勢力とマスコミは「共謀罪が成立したら監視密告社会がやってくる」と国民の不安を煽っていますが、これを聞いた筆者は開いた口が塞がりません。

イルミー組織から危険人物視され、もう3年以上も集団ストーカー被害を受け続けている筆者は、もうこの日本国が実質監視密告社会に移行していることを知っています。

「そんな馬鹿な」とあなたが思うのは、まだ自分の身に火の粉が降りかかったことがないという特殊事情に過ぎません。

そこで、どうか恐れずに両のまなこをしっかりと見開いてください。

「民主主義が危うい。我々の人権が侵害される。監視密告社会がやってくる」と叫んでいる人々こそ、「自分たち以外の者に監視権力を与えてなるものか。我々だけが人間で、お前たちに人権などない。外野はぐだぐだ抜かすな」と奢り高ぶっている連中なのです。

とにもかくにも、もしイルミー陣営の一角と言って支障のない石破茂氏が自民党総裁になるようなことがあれば、それは実質的にかつての民主党政権に逆行するのと同じことになる可能性があることをしっかり肝に銘じましょう。(hiyoshikei029)
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2017年06月15日

集団ストーカー現象とイルミー組織

さて、筆者は2014年から集団ストーカー被害に遭っていますが、この奇妙な社会現象とイルミー組織が無縁とは思われません。

無縁どころか、イルミー組織にとって目障りな人物を社会的に抹殺する手段が、集団ストーカー現象なのだと思います。

そこで、恐らく集団ストーカー現象を担っている主要人物はイルミー構成員ということになり、彼らがその影響力を駆使して動かせる人々を使って、被害者であるターゲットを追い込んでいくということです。

ネット上の他のサイトを見ると、集団ストーカー現象にはプロ市民と呼ばれるストーカーを生業としているらしき人々が重要な働きをしているようです。その詳細な記述は、実際に日々彼らと接している筆者の経験にも合致します。

その者たちはまさにストーカー業で生計を立てているのですから、その口は堅く、絶対に組織の秘密を口外することはないのでしょう。

では、彼らがしっかりイルミー構成員成りしているかと言えば、そうではないようです。プロ市民はターゲットに対する何らの思い入れもなく、ただ金のために黙々と命令に従っているだけのようです。

このことは、ターゲットに対する憎しみを隠さないイルミー構成員のストーカーとは対照的です。

ここで、プロ市民の口の堅さは「見えない村の掟」によって担保されていると、彼らを3年間観察し続けてきた筆者は推測しています。イルミー組織は、世界中で差別を創造する主体であり、それを使いこなすエキスパートでもあります。そこでイルミーは、世界中の国々に存在する少数民族組織や被差別組織にその糸を垂らして取り込んでいます。すべてがそうという訳ではないでしょうが、プロ市民がそういう人々が中心になって構成されていることは動かしがたい事実だと思います。

「自分たちは特殊な村組織に所属している」という意識が、村の外の人間に対する同情心を失わしめ、非人間的な闇の稼業に従事することに対するメンバーの反発を抑えているのだと思います。

すると、このことはイルミー組織にあるメリットを付与します。それは、一つの村を丸ごと取り込んだことで、命令に従える似た顔の人々を多く得たというメリットです。

つきまとい行為を成せる人間の数は無限ではなく、守秘義務を果たせる人間の数も決して多くはありません。そこで、イルミー組織は、集団ストーカー現象を遂行する上で、同一人物を何度もターゲットである被害者の元に差し向ける必要がでてきます。

このことは、被害者の側からすると、不気味な闇の組織の存在を証明するよすがとなります。同一人物が何度もつきまとってきた証拠を作成して、警察や法廷に提出すれば、いずれ社会はつきまとい行為が事実であることを認めてくれるでしょう。

ところが、このことはイルミー側も重々承知であり、簡単に証拠など作らせてはもらえません。その訳を説明しましょう。まず、イルミーは似た顔の仲間がいない人物を、プロ市民としては採用しないようです。実際プロ市民には、双子かと見まがう者がいるのが常で、本当の双子が使われているケースもあります。

プロ市民は、「見えない村の掟」という圧力の下で、その親子、兄弟姉妹もこぞってストーカー業に邁進しているケースが多いようです。

すると素人目には同一人物と思われる人々を、探偵などを雇って調べてみると、それらは異なる複数の人物の集合体であることが分かってきます。これでは、つきまとい行為を訴えた被害者は、単に脅迫概念に支配された精神異常者に見做されかねません。

まず、イルミー組織は5人以上の極めて似た人物を集めた上で、それらにさまざまなノウハウを与えてプロ市民として養成し、ターゲットに日替わりに差し向けます。今日はA1、明日はA2、明後日はA3という具合にです。それらの出現順序が、A1、A2、A3、A4、A5、A2、A4だとすると、ストーカー被害者は、2日目に来たストーカーと6日目に来たストーカーが同一人物であることを見抜かないと、証拠を手にできないことになります。

これは素人には厳しいハードルです。同一人物であると主張しながら、異なる人物が混じっていることが証明されると、証拠全体の価値が低下し、信用を失ってしまうことになります。

これは、実にイジメに適した構図と言えます。被害者側からすれば、同じような人物が次々と出てくるので、自分がつきまとわれていることは疑いないものの、数を頼みとする加害者側はほとんど相手に証拠を提供するリスクを冒さないですむからです。反抗できない被害者側は、段々と精神的に追い詰められ、人によってはその精神の健康を害していくことでしょう。

一度、イルミー組織に睨まれてターゲットにされてしまうと、集団ストーカー現象は、ターゲットが自殺するか、発狂するか、発狂せずとも精神異常者と見なされて措置入院させられるか、犯罪者として逮捕されるかしない限り、止まないそうです。全く、これほど残酷なイジメがあるでしょうか?一体、善良な一般市民を装いつつこのような作業に従事できる人々の精神構造はどうなっているのでしょうか?

これは、未必の故意を有する殺人行為を共同で実行しているのと全く同じです。ならば、今の世の中には、善良な一般市民だと嘯いている殺人犯がなんと大勢いることでしょう。

そして、大人がこんな有様ならば、それは子供社会にも深刻な影を落とさないでしょうか?大人たちがこれほどイジメに嬉々としているのですから、その子供たちも早くからイジメの楽しさに目覚め、エキスパートに育つはずです。だから、日本中の小中学校で、苛められて自殺する子供が後を絶たないのです。

ここで、他のサイトをみると、「プロ市民は自らが行っている行為の意味を教えられていないので、罪の意識はない」と書かれています。そんなことがあるでしょうか?筆者は到底同意できません。

集団ストーカーを成せる体制は、この京都においてすら完成されており、統率度、相互協力の錬度から見ても、それが一朝一夕に達成されたものではないことが分かります。ならば、自殺の道に追い込まれたターゲットも少なくないでしょうし、そうした情報が気密性の高い組織内で囁かれないはずはないと思います。

ということは、この穢れた体制内に存する人間たちは、イルミー構成員であるかプロ市民であるかを問わず、心の穢れを一刻一刻増して、悪の程度を高めていることになります。そこでこの体制は、ストーカー殺人に限らず、種々雑多な犯罪をこの世に生み出す温床になっていることが予想されます。

あなたはこの現状を放置してよいと思いますか?ここで「いずれそのうち日本警察が重い腰を上げて、摘発に動き出すだろう」などという楽観主義は禁物です。今や警察幹部にはイルミーの網が張り巡らされているようで、公安警察であれ警視庁であれ、この犯罪撲滅に動き出すはずもありません。

どうもこの集団ストーカーを成しうる体制は長年に亘り、公安警察に、犯人を監視したりその情報を提供する便宜を図ってきたようで、もはや彼らが何をしようとも警察は黙認せざるを得ない状況にあるようです。

さて、ここで少し目線を変えてこの現象を眺めてみましょう。するとその無残さに心を痛めます。親は子に人生の尊厳や愛情の大切さを教えるべきものです。ところが、プロ市民の家庭においては、「お父さんは実はストーカーをやっている。お前もこうした仕事に従事して組織から認められなければならない」と子供は言われます。その時、子供はどんな気持ちがするでしょう?

心は傷つき、抱いていた夢は壊れます。そして自らの存在が卑小なものに感じられ、やがてどんな犯罪も平気で実行できるほどに、さらにその心を穢していく日々が待っていることでしょう。

また、兄弟姉妹皆がストーカー行為に従事している別のプロ市民の家庭を想像してみましょう。このようなケースで、影の連携は一見表面的な繋がりを高めるようにも思われます。

しかし、その深層においては心はずたずたに傷ついていきます。考えてもみてください。兄弟のやっていることは、胸を張って誇れることではないのです。うしろめたさは仮に秘密を漏らした際の制裁を意味し、実際は組織を裏切っていなくとも、裏切り者と見なされただけで破滅させられた者たちのことを兄弟は知っています。

卑しいことをしているのですから、自分が疑われた際に兄弟が身を挺して守ってくれるはずもなく、それどころか、そのような折に兄弟は最も強力な敵へと変化することを皆知っています。

ならば、人間関係は上辺だけのものとなり、兄弟の心はエゴイズムに冒され、虎狼化していくことに疑いはないでしょう。

かくして、プロ市民たちの集団は穢れていくと予想されますが、それはイルミー構成員たちの心の穢れとは比べ物になりません。イルミー構成員もストーカー行為に参加し、ある時は作戦参謀となり、ある時は現場のリーダーとなっているようですが、彼らは自分たちの行っている行為の意味をしっかり理解しているのです。

自らの行っている行為が、イジメであると同時に立派な犯罪であること、ターゲットが破滅するまで止めない残酷な意思を有していること、被害者が真に苦しんでいること、また自分たちの命令によってプロ市民たちも堕落する道を歩んでしまっていることを、多くは社会のエリートであるイルミー構成員たちは熟知しています。

そこで、彼らの心の荒み方は、文字通り殺人犯のそれと同じになります。より深く知っているが故に、罪の程度も重いのです。なので、彼らは「いずれ罪が発覚するのではないか」という怯えに支配されるようになり、怯えは自分たちを暴露する可能性のあるターゲットの破滅によって癒されるまで続きます。よって、なかなか破滅しないターゲットに対して、彼らは憎しみを募らせていきます。

ああ、そのような者たちが、堂々と一般市民を称しているのです。ある者は、学校の先生であり、病院の医師であり、公務員の偉いさんであり、警察官であり、弁護士であるのです。またある者は、裕福な企業幹部であり、大学教授であるのです。あなたは自分が地獄の世に住んでいることがお分かりになりましたか?

彼らがエリートと呼ばれ、社会を牛耳り、「未来にどう舵をとるかは自分たちに任しておけ」と嘯いているのです。いやはや、任せるなどとんでもないことです。彼らはただの欲望の犬であり、何一つ自分の頭で考えてなどいません。もし任せようものなら、先人たちが苦労して築き上げた日本国が、完全に欧米の植民地になってしまいます。

筆者がイルミー組織を称して「癌」と呼ぶ訳がお分かりになりましたか?癌は癌に過ぎず何も生み出さないものです。イルミーたちは自分たちの繁栄を確信していますが、このままでは実際に待っているのは一寸先の混沌であり社会崩壊だと思います。

ですから、仮に彼らの体制がノーベル賞学者を擁していようとも、大学の総長を擁していようとも、恐れ入ってはいけません。どんな肩書きがあれ犯罪者は犯罪者であり、今の世は世紀末なので、とんでもない奴でもノーベル賞学者となり大学総長になれているに過ぎません。いや、本当に世の中のためになる大学者や大教授は卑怯な手段で駆逐されてしまったので、とんでもない奴にノーベル賞を与えざるを得ず、とんでもない奴たちの中から大学総長を選ばざるを得ないだけです。

最後に、集団ストーカー現象を理解する助けとなる一例を話しましょう。

ここに万引き常習犯の少年たちがいたとします。彼らは同じクラスに属しており、お互い仲のよいクラスの主流派です。少年たちの家は裕福で、誰も彼らが犯罪に手を染めていることなど疑いもしません。ところが、ここで少年たちのリーダーが万引きをするところを、同じクラスのある少女が目撃してしまったとします。正義感の強い少女はこのことをクラスの担任に報告しましたが、それは少年たちの伝え聞くところとなります。困った少年たちは一計を案じ、皆で口裏を合わせて、「その少女が体育の時間に校庭で鹿を見たと言っていた」と口々に担任に話します。都会の中学で校庭に鹿など出るはずもないので、担任は少女を怪しみ、万引きの件も真剣に考慮する必要はないと考えるようになります。少年たちはほくそ笑み、担任の様子の変化を見取って胸を撫で下ろします。

どうでしょう。集団ストーカー現象の意味が理解できましたか?ここで担任の先生とは何を指しているのでしょう。もしこれを読んでいるあなたがイルミーと聞いて半信半疑ならば、その先生とはあなたのことなのです。(hiyoshikei028)
posted by 日吉圭 at 12:38| 京都 | TrackBack(0) | 日吉圭新作 | 更新情報をチェックする

2016年12月12日

相模原障害者殺傷事件の背景をなすイルミーの黒い野望

160726_kanagawa_.jpgイルミーが世界中でデフレ時代を継続させているのも、次々と残虐なテロを引き起こしPRSの手法(問題‐反応‐解決)で人権抑圧的な社会変革を試みているのも、将来に彼らの望む監視密告型社会を形成するためであると当ブログは説いてきました。

ならば、戦前の憲兵制度のようなものが存在して、イルミーの敵を特別な場所に収容し、拷問して転向を迫るようなことができたら、連中にとって都合がよいのではないでしょうか?

今の世にそのような施設は存在しないとあなたは笑うでしょうか?否、イルミーは既存の施設を邪悪な意図で隠密裏に悪用することで、その目的を達しようとしているので注意が必要です。

2016年9月3日の京都新聞によると、「全国の医療機関の精神科医100人前後が、精神障害がある患者の強制入院の要否を判断する「精神保健指定医」資格の不正取得に関与した疑いがあることが2日、厚生労働省の調査で分かった。

指導した医師もいるという。相模原の障害者施設殺傷事件で逮捕された植松聖容疑者(26)の措置入院の判断に関わった医師一人も含まれている。

同省は医師らから弁明を聴く聴聞を実施しており、背景などを詳しく調べるとともに、医道審議会を開き処分を決める方針。

昨年4月聖マリアンナ医大病院(川崎市)の医師11人が、診断や治療に十分に関与していない症例を使って精神保健指定医の資格を国に虚偽申請し、不正に取得した問題が発覚。厚労省は過去5年間に資格申請した医師のリポートの調査を進めてきた。その結果、同じ患者の同一期間の症状を扱ったリポートを多数確認、診療記録などを精査し、治療に十分に関わった痕跡がないケースが判明した。指導医が十分にチェックしていない疑いのある事案も見つかった。

同省によると、相模原の障害者施設殺傷事件では、容疑者の緊急措置入院と措置入院を巡る手続きに4人の医師が関与。入院の必要性の判断を担当した3人のうち、1人に資格不正取得の疑いがある。ただ事件に関する同省検討チームのこれまでの会合では、措置入院の判断自体に問題はなかったとの意見が委員から出ている。チームは今月、事実関係の中間報告をまとめる方針。(後略)」


さて、イルミーは自分たちの組織の存在やその悪行を暴露する人間に対して、精神病患者のレッテルを張り、社会的生命を絶つと同時に、多大な肉体的精神的苦痛を課そうと企んでいるようです。

「まさか、幾らなんでも今の世でそれは不可能だろう?」と読者は言うに違いありません。しかし、これは杞憂ではないのです。その訳を説明します。

ところで、相模原で起きた障害者施設大量殺傷事件についてはご記憶のことと思います。上の記事は、植松聖容疑者の措置入院を巡る判断に精神保健指定医資格を不正取得した医師が関わっていたことを示しています。

「それがどうしたのか?彼を措置入院させた判断は正しいではないか?」と読者は仰ることでしょう。

その通りです、しかし、彼をたった1ヶ月で退院させた判断についてはどうでしょうか?同じ医師が関与しているのではないでしょうか?

当ブログは上の記事で報じられた全国での不正資格取得医の大量発生が、イルミーの策動であると断言します。

恐らく、全国でイルミー精神科医に対して精神保健指定医資格を取得するようにイルミー組織から大号令がかかり、既に指導的地位にあったイルミー精神科医が安易にその資格が得られるように不正取得の道を開いたのだと思われます。

では何故、イルミー精神科医は措置入院指定医にならねばならないのでしょうか?

その理由は、イルミー組織の存在について気づき、その意図を暴く者が社会に増えてきたので、それを抑圧するため、連中が恐怖社会の構築を急いでいるからだと思われます。

それにしても既存の社会システムを使って、いかなる手段でその目的を遂げようとしているのでしょうか?その仕組みを説明しましょう。

まず、イルミー組織はその強力な敵に対して、あらゆる盗聴を仕掛けてその弱点を探り破滅させようとします。しかし、それが困難な敵には、その構成員たちを使って集団ストーカーを仕掛けます。

不特定多数の人間による継続したつきまとい(集団ストーカー)の目的は二つあります。

一つは、その敵(ターゲット)がどのような人間と会っているか、交友関係を完全に把握せんとするものです。イルミーは常に、単独に見える敵が実は巨大な敵集団の一味であることを畏怖しています。その可能性を調べるために集団ストーカーが利用されます。

ここであなたは、「今や様々な通信手段が存在するのだから、実際に会った人間だけを完全に把握しても、幾らでも抜け道はあるではないか?」と笑うかも知れません。

いえ、イルミー組織にとって、電話、携帯・スマホ、パソコン(インターネット)、デジタルテレビによる通信はもはや脅威ではないのです。

彼らはターゲットに関してそのすべてを簡単に盗聴できます。彼らにとって恐ろしいのは、偶然に見える第三者との出会いだけなので、人間の網をかぶせてターゲットの社会からの隔離を試みているのです。

筆者と第三者との会話において、ストーカーの失礼極まりない強引な立ち聞きと、あまりにも不自然な会話への乱入が彼らの意図を明瞭に示すと同時に、ストーカー全員が組織の意図を理解して動いていることを示しています。

二つ目の目的が今回の話題と関わるものです。

集団ストーカーの次なる目的とは、「ターゲットの社会的生命を絶つ」というもので、これはまるで「大勢の勢子が動物を狩るようなもの」と言えましょう。

仮にあなたはマーケットで買い物をしているとしましょう。5人以上の集団で相互監視しつつ接近してくるイルミー構成員たちは、知らないうちにあなたを取り囲みます。そしてそのうちの1人(襲撃者)が、あなたにトラブルを仕掛けてきます。

例えば、あなたは必死になって商品を見比べているとしましょう。襲撃者はあなたと商品の間に、ほとんど隙間がないにも関わらず強引に身体を割り込ませてきます。その失礼に怒ったあなたは、きっと文句を言うことでしょう。

すると、「あなたの方から先に働きかけられた」口実を得た襲撃者は急に勢いづき、逆切れしてあなたの怒りをさらにかきたてようとします。

哀れ、激昂して暴言・暴行の挙に及んでしまったあなたは、襲撃者によって警察に通報され、到着した警察官は渦中の二人を引き離して、それぞれから話を聴きます。

さらに警察官は、周囲にいた第三者から事件が実際のところどうであったか聞き取りを始めるのですが、警察官の少し遅い到着まで現場に残っていた買い物客たちは、全て襲撃者の仲間のイルミー構成員たちなのです。
チームのリーダーから刻々、携帯・スマホによる連絡を受けている彼らは、口裏を合わせて歪曲された事実を警察官に語ります。

つまり、相手をちょっと小突いただけのあなたはパンチを入れたことにさせられ、軽い嫌味を言ったあなたは差別用語を口にしたことにされることでしょう。

イルミーは集団でストーカーすると決めたターゲットは、何年でも追い続け、何度襲撃に失敗しても飽きることがありません。何故なら、今や構成員が豊富な彼らは、毎回新しくストーカーチームを編成できるからです。

「相手の前に無数の石を置き続ければ、いつか相手はそのどれかにつまづいて転ぶ」というのが連中の発想です。何度か警察沙汰にされたあなたは、市の保険関係の職員に面会するように求められます。

ここであなたは市職員に「不特定多数からつきまといの被害を受け続けている」と話すことでしょう。これであなたは連中の罠に落ちました。

京都市において市役所は今やイルミーの巣と化しつつありますが、それはともかく、保険関係の市職員の間で「不特定多数の集団からの継続したつきまといの苦情を語る者は、被害妄想者である」というコンセンサスは出来上がっています。

そこであなたは、市職員から報告をうけた精神保健(措置入院)指定医と面会させられますが、この医師があなたの措置入院要否判断の全権を握っているのです。

そうです、措置入院とは植松容疑者のような明らかに異常な人間のためだけに用意されている措置ではないのです。イルミーはどんな敵であれ、この構図の中に落とすことが出来ます。

こうした仕組みの構築とその進化を願うイルミー組織にとって、まさに相模原の障害者殺害事件は願ってもないものでした。

しかし、PRSの手法(問題‐反応‐解決)を駆使する彼らのことですから、これは仕掛けられたテロではないかとの検討が必要です。

当ブログは、検討を重ねた結果、そうに違いないとの確信を得て、その思考過程を世に問います。

相模原障害者殺害事件がイルミーの策動であると考える理由は以下の五つです。

一つ、植松容疑者の措置入院の要否について判断した精神科医の1人が、その資格を不正に取得した者であったこと。

二つ、措置入院先で、植松容疑者が大麻精神病であることは確定していたにもかかわらず、市職員も医師団もその事実を警察に知らせることなく、薬物依存矯正の措置も取らなかったこと。

三つ、植松容疑者のような筋金入りの薬物依存者が「衆院議長に手紙を書く」などという穿ったことを思いつくはずがないと思われること。安倍総理に手紙を書くなら可能性はあるが、その場合、無数に届けられる同類の手紙とともに破棄されてしまった可能性があること。つまり、捨てられない可能性が高い所に届けた点に、イルミーらしい熟慮が伺えること。

四つ、新聞各紙が、何度も記事を書きながら、植松容疑者の写真をイカれたように見える一種類しか掲載しなかったこと。また、衆院議長に出した手紙の全文掲載も通常あり得ないことであり、世論誘導の配慮が顕著であること。

五つ、2月18日「障害者を殺す」と発言し、19日警察で聴取を受けた植松容疑者が、「大量殺人は日本国の指示があればいつでも実行する」と発言したが、これほどの確信犯が指示を待っていることが奇異に思われること。(彼の言う日本国とはイルミー組織を指すのではという疑念)

この点を報じる新聞記事を紹介しましょう。7月27日の京都新聞によると、(前略)市や県警によると、植松容疑者は2月18日、施設関係者に「障害者を殺すという趣旨の発言をし、津久井署が19日、事情聴取を実施。

この場でも「重度障害者の大量殺人は、日本国の指示があればいつでも実行する」と述べたため、市は精神保健福祉法に基づき措置入院を決め、植松容疑者は施設を退職した。入院中の尿検査などで大麻の陽性反応が出たが、その後、症状が和らぎ、「当時はどうかしていた」と反省の言葉があったため、3月2日に退院。市は「結果としてあってはならないことが起きた」と説明した。


さて、植松容疑者の中に障害者を差別し、侮蔑する思想が育っていたことに疑いはないでしょう。しかし、何者かが彼を利用しようと思い立ち、被催眠の状態にして正常状態に戻れないように入墨を入れさせ、暗示を受けたらプログラムされた行動を実行するように仕組んだのならば、「神様の子供19人を刺殺した大罪の主犯は別にいる」と言うほかありません。

12月10日のNHKニュース7において、厚生労働省の編成した検討チーム座長の成城大学山本輝之教授が、措置入院解除後も患者はどの都道府県に移転しても強制的に支援を受け続けるように市役所・病院への連絡が徹底される仕組みの構築を宣言しました。

これなどは、措置入院対象者の人権に対する配慮を著しく欠く発言として注目されますが、イルミー組織の意図を代弁するような迅速な動きが、時代にさす暗い影のように思われてなりません。

これら厚労省の上級官僚や学者たちの中にこそ、相模原の事件の真の主犯が潜んでいるのではないでしょうか?彼らは、何一つ罰せられていません。

それどころか、彼らをリーダーとして、未来社会の構築が進められているのです。これは、日本民族と文明の危機ではありませんか?

いかんせん、措置入院型収容の恐ろしい点は、弁護士を立てて抗弁することが出来ない点です。

いかなる犯罪者であり、弁護士を立てて法廷で抗弁する権利が手厚く保護されていますが、措置入院検討者は「本人の利益のために警察が保護してあげている」のですから、闘争して争う権利がないと看做されます。

これぞ、偽善を武器とするイルミー組織の真骨頂であり、相手を簀巻きにして拷問が出来るのに、「相手のためを思って行動してあげている」と嘯くことが許されるのです。

そこで、私たちは新聞各紙によって刷り込まれた野球帽をかぶった植松容疑者のイカれた写真にこれ以上惑わされてはなりません。

本当にあの顔をしているのは、厚労省の高級官僚たちであり、学者たちであるのですから。(hiyoshikei027)
posted by 日吉圭 at 14:56| 京都 ☁ | TrackBack(0) | 日吉圭新作 | 更新情報をチェックする