2017年06月15日

集団ストーカー現象とイルミー組織

さて、筆者は2014年から集団ストーカー被害に遭っていますが、この奇妙な社会現象とイルミー組織が無縁とは思われません。

無縁どころか、イルミー組織にとって目障りな人物を社会的に抹殺する手段が、集団ストーカー現象なのだと思います。

そこで、恐らく集団ストーカー現象を担っている主要人物はイルミー構成員ということになり、彼らがその影響力を駆使して動かせる人々を使って、被害者であるターゲットを追い込んでいくということです。

ネット上の他のサイトを見ると、集団ストーカー現象にはプロ市民と呼ばれるストーカーを生業としているらしき人々が重要な働きをしているようです。その詳細な記述は、実際に日々彼らと接している筆者の経験にも合致します。

その者たちはまさにストーカー業で生計を立てているのですから、その口は堅く、絶対に組織の秘密を口外することはないのでしょう。

では、彼らがしっかりイルミー構成員成りしているかと言えば、そうではないようです。プロ市民はターゲットに対する何らの思い入れもなく、ただ金のために黙々と命令に従っているだけのようです。

このことは、ターゲットに対する憎しみを隠さないイルミー構成員のストーカーとは対照的です。

ここで、プロ市民の口の堅さは「見えない村の掟」によって担保されていると、彼らを3年間観察し続けてきた筆者は推測しています。イルミー組織は、世界中で差別を創造する主体であり、それを使いこなすエキスパートでもあります。そこでイルミーは、世界中の国々に存在する少数民族組織や被差別組織にその糸を垂らして取り込んでいます。すべてがそうという訳ではないでしょうが、プロ市民がそういう人々が中心になって構成されていることは動かしがたい事実だと思います。

「自分たちは特殊な村組織に所属している」という意識が、村の外の人間に対する同情心を失わしめ、非人間的な闇の稼業に従事することに対するメンバーの反発を抑えているのだと思います。

すると、このことはイルミー組織にあるメリットを付与します。それは、一つの村を丸ごと取り込んだことで、命令に従える似た顔の人々を多く得たというメリットです。

つきまとい行為を成せる人間の数は無限ではなく、守秘義務を果たせる人間の数も決して多くはありません。そこで、イルミー組織は、集団ストーカー現象を遂行する上で、同一人物を何度もターゲットである被害者の元に差し向ける必要がでてきます。

このことは、被害者の側からすると、不気味な闇の組織の存在を証明するよすがとなります。同一人物が何度もつきまとってきた証拠を作成して、警察や法廷に提出すれば、いずれ社会はつきまとい行為が事実であることを認めてくれるでしょう。

ところが、このことはイルミー側も重々承知であり、簡単に証拠など作らせてはもらえません。その訳を説明しましょう。まず、イルミーは似た顔の仲間がいない人物を、プロ市民としては採用しないようです。実際プロ市民には、双子かと見まがう者がいるのが常で、本当の双子が使われているケースもあります。

プロ市民は、「見えない村の掟」という圧力の下で、その親子、兄弟姉妹もこぞってストーカー業に邁進しているケースが多いようです。

すると素人目には同一人物と思われる人々を、探偵などを雇って調べてみると、それらは異なる複数の人物の集合体であることが分かってきます。これでは、つきまとい行為を訴えた被害者は、単に脅迫概念に支配された精神異常者に見做されかねません。

まず、イルミー組織は5人以上の極めて似た人物を集めた上で、それらにさまざまなノウハウを与えてプロ市民として養成し、ターゲットに日替わりに差し向けます。今日はA1、明日はA2、明後日はA3という具合にです。それらの出現順序が、A1、A2、A3、A4、A5、A2、A4だとすると、ストーカー被害者は、2日目に来たストーカーと6日目に来たストーカーが同一人物であることを見抜かないと、証拠を手にできないことになります。

これは素人には厳しいハードルです。同一人物であると主張しながら、異なる人物が混じっていることが証明されると、証拠全体の価値が低下し、信用を失ってしまうことになります。

これは、実にイジメに適した構図と言えます。被害者側からすれば、同じような人物が次々と出てくるので、自分がつきまとわれていることは疑いないものの、数を頼みとする加害者側はほとんど相手に証拠を提供するリスクを冒さないですむからです。反抗できない被害者側は、段々と精神的に追い詰められ、人によってはその精神の健康を害していくことでしょう。

一度、イルミー組織に睨まれてターゲットにされてしまうと、集団ストーカー現象は、ターゲットが自殺するか、発狂するか、発狂せずとも精神異常者と見なされて措置入院させられるか、犯罪者として逮捕されるかしない限り、止まないそうです。全く、これほど残酷なイジメがあるでしょうか?一体、善良な一般市民を装いつつこのような作業に従事できる人々の精神構造はどうなっているのでしょうか?

これは、未必の故意を有する殺人行為を共同で実行しているのと全く同じです。ならば、今の世の中には、善良な一般市民だと嘯いている殺人犯がなんと大勢いることでしょう。

そして、大人がこんな有様ならば、それは子供社会にも深刻な影を落とさないでしょうか?大人たちがこれほどイジメに嬉々としているのですから、その子供たちも早くからイジメの楽しさに目覚め、エキスパートに育つはずです。だから、日本中の小中学校で、苛められて自殺する子供が後を絶たないのです。

ここで、他のサイトをみると、「プロ市民は自らが行っている行為の意味を教えられていないので、罪の意識はない」と書かれています。そんなことがあるでしょうか?筆者は到底同意できません。

集団ストーカーを成せる体制は、この京都においてすら完成されており、統率度、相互協力の錬度から見ても、それが一朝一夕に達成されたものではないことが分かります。ならば、自殺の道に追い込まれたターゲットも少なくないでしょうし、そうした情報が気密性の高い組織内で囁かれないはずはないと思います。

ということは、この穢れた体制内に存する人間たちは、イルミー構成員であるかプロ市民であるかを問わず、心の穢れを一刻一刻増して、悪の程度を高めていることになります。そこでこの体制は、ストーカー殺人に限らず、種々雑多な犯罪をこの世に生み出す温床になっていることが予想されます。

あなたはこの現状を放置してよいと思いますか?ここで「いずれそのうち日本警察が重い腰を上げて、摘発に動き出すだろう」などという楽観主義は禁物です。今や警察幹部にはイルミーの網が張り巡らされているようで、公安警察であれ警視庁であれ、この犯罪撲滅に動き出すはずもありません。

どうもこの集団ストーカーを成しうる体制は長年に亘り、公安警察に、犯人を監視したりその情報を提供する便宜を図ってきたようで、もはや彼らが何をしようとも警察は黙認せざるを得ない状況にあるようです。

さて、ここで少し目線を変えてこの現象を眺めてみましょう。するとその無残さに心を痛めます。親は子に人生の尊厳や愛情の大切さを教えるべきものです。ところが、プロ市民の家庭においては、「お父さんは実はストーカーをやっている。お前もこうした仕事に従事して組織から認められなければならない」と子供は言われます。その時、子供はどんな気持ちがするでしょう?

心は傷つき、抱いていた夢は壊れます。そして自らの存在が卑小なものに感じられ、やがてどんな犯罪も平気で実行できるほどに、さらにその心を穢していく日々が待っていることでしょう。

また、兄弟姉妹皆がストーカー行為に従事している別のプロ市民の家庭を想像してみましょう。このようなケースで、影の連携は一見表面的な繋がりを高めるようにも思われます。

しかし、その深層においては心はずたずたに傷ついていきます。考えてもみてください。兄弟のやっていることは、胸を張って誇れることではないのです。うしろめたさは仮に秘密を漏らした際の制裁を意味し、実際は組織を裏切っていなくとも、裏切り者と見なされただけで破滅させられた者たちのことを兄弟は知っています。

卑しいことをしているのですから、自分が疑われた際に兄弟が身を挺して守ってくれるはずもなく、それどころか、そのような折に兄弟は最も強力な敵へと変化することを皆知っています。

ならば、人間関係は上辺だけのものとなり、兄弟の心はエゴイズムに冒され、虎狼化していくことに疑いはないでしょう。

かくして、プロ市民たちの集団は穢れていくと予想されますが、それはイルミー構成員たちの心の穢れとは比べ物になりません。イルミー構成員もストーカー行為に参加し、ある時は作戦参謀となり、ある時は現場のリーダーとなっているようですが、彼らは自分たちの行っている行為の意味をしっかり理解しているのです。

自らの行っている行為が、イジメであると同時に立派な犯罪であること、ターゲットが破滅するまで止めない残酷な意思を有していること、被害者が真に苦しんでいること、また自分たちの命令によってプロ市民たちも堕落する道を歩んでしまっていることを、多くは社会のエリートであるイルミー構成員たちは熟知しています。

そこで、彼らの心の荒み方は、文字通り殺人犯のそれと同じになります。より深く知っているが故に、罪の程度も重いのです。なので、彼らは「いずれ罪が発覚するのではないか」という怯えに支配されるようになり、怯えは自分たちを暴露する可能性のあるターゲットの破滅によって癒されるまで続きます。よって、なかなか破滅しないターゲットに対して、彼らは憎しみを募らせていきます。

ああ、そのような者たちが、堂々と一般市民を称しているのです。ある者は、学校の先生であり、病院の医師であり、公務員の偉いさんであり、警察官であり、弁護士であるのです。またある者は、裕福な企業幹部であり、大学教授であるのです。あなたは自分が地獄の世に住んでいることがお分かりになりましたか?

彼らがエリートと呼ばれ、社会を牛耳り、「未来にどう舵をとるかは自分たちに任しておけ」と嘯いているのです。いやはや、任せるなどとんでもないことです。彼らはただの欲望の犬であり、何一つ自分の頭で考えてなどいません。もし任せようものなら、先人たちが苦労して築き上げた日本国が、完全に欧米の植民地になってしまいます。

筆者がイルミー組織を称して「癌」と呼ぶ訳がお分かりになりましたか?癌は癌に過ぎず何も生み出さないものです。イルミーたちは自分たちの繁栄を確信していますが、このままでは実際に待っているのは一寸先の混沌であり社会崩壊だと思います。

ですから、仮に彼らの体制がノーベル賞学者を擁していようとも、大学の総長を擁していようとも、恐れ入ってはいけません。どんな肩書きがあれ犯罪者は犯罪者であり、今の世は世紀末なので、とんでもない奴でもノーベル賞学者となり大学総長になれているに過ぎません。いや、本当に世の中のためになる大学者や大教授は卑怯な手段で駆逐されてしまったので、とんでもない奴にノーベル賞を与えざるを得ず、とんでもない奴たちの中から大学総長を選ばざるを得ないだけです。

最後に、集団ストーカー現象を理解する助けとなる一例を話しましょう。

ここに万引き常習犯の少年たちがいたとします。彼らは同じクラスに属しており、お互い仲のよいクラスの主流派です。少年たちの家は裕福で、誰も彼らが犯罪に手を染めていることなど疑いもしません。ところが、ここで少年たちのリーダーが万引きをするところを、同じクラスのある少女が目撃してしまったとします。正義感の強い少女はこのことをクラスの担任に報告しましたが、それは少年たちの伝え聞くところとなります。困った少年たちは一計を案じ、皆で口裏を合わせて、「その少女が体育の時間に校庭で鹿を見たと言っていた」と口々に担任に話します。都会の中学で校庭に鹿など出るはずもないので、担任は少女を怪しみ、万引きの件も真剣に考慮する必要はないと考えるようになります。少年たちはほくそ笑み、担任の様子の変化を見取って胸を撫で下ろします。

どうでしょう。集団ストーカー現象の意味が理解できましたか?ここで担任の先生とは何を指しているのでしょう。もしこれを読んでいるあなたがイルミーと聞いて半信半疑ならば、その先生とはあなたのことなのです。(hiyoshikei028)
posted by 日吉圭 at 12:38| 京都 | TrackBack(0) | 日吉圭新作 | 更新情報をチェックする

2016年12月12日

相模原障害者殺傷事件の背景をなすイルミーの黒い野望

イルミーが世界中でデフレ時代を継続させているのも、次々と残虐なテロを引き起こしPRSの手法(問題‐反応‐解決)で人権抑圧的な社会変革を試みているのも、将来に彼らの望む監視密告型社会を形成するためであると当ブログは説いてきました。

ならば、戦前の憲兵制度のようなものが存在して、イルミーの敵を特別な場所に収容し、拷問して転向を迫るようなことができたら、連中にとって都合がよいのではないでしょうか?

今の世にそのような施設は存在しないとあなたは笑うでしょうか?否、イルミーは既存の施設を邪悪な意図で隠密裏に悪用することで、その目的を達しようとしているので注意が必要です。

2016年9月3日の京都新聞によると、「全国の医療機関の精神科医100人前後が、精神障害がある患者の強制入院の要否を判断する「精神保健指定医」資格の不正取得に関与した疑いがあることが2日、厚生労働省の調査で分かった。指導した医師もいるという。相模原の障害者施設殺傷事件で逮捕された植松聖容疑者(26)の措置入院の判断に関わった医師一人も含まれている。同省は医師らから弁明を聴く聴聞を実施しており、背景などを詳しく調べるとともに、医道審議会を開き処分を決める方針。昨年4月聖マリアンナ医大病院(川崎市)の医師11人が、診断や治療に十分に関与していない症例を使って精神保健指定医の資格を国に虚偽申請し、不正に取得した問題が発覚。厚労省は過去5年間に資格申請した医師のリポートの調査を進めてきた。その結果、同じ患者の同一期間の症状を扱ったリポートを多数確認、診療記録などを精査し、治療に十分に関わった痕跡がないケースが判明した。指導医が十分にチェックしていない疑いのある事案も見つかった。同省によると、相模原の障害者施設殺傷事件では、容疑者の緊急措置入院と措置入院を巡る手続きに4人の医師が関与。入院の必要性の判断を担当した3人のうち、1人に資格不正取得の疑いがある。ただ事件に関する同省検討チームのこれまでの会合では、措置入院の判断自体に問題はなかったとの意見が委員から出ている。チームは今月、事実関係の中間報告をまとめる方針。(後略)」

さて、イルミーは自分たちの組織の存在やその悪行を暴露する人間に対して、精神病患者のレッテルを張り、社会的生命を絶つと同時に、多大な肉体的精神的苦痛を課そうと企んでいるようです。

「まさか、幾らなんでも今の世でそれは不可能だろう?」と読者は言うに違いありません。しかし、これは杞憂ではないのです。その訳を説明します。

ところで、相模原で起きた障害者施設大量殺傷事件についてはご記憶のことと思います。上の記事は、植松聖容疑者の措置入院を巡る判断に精神保健指定医資格を不正取得した医師が関わっていたことを示しています。

「それがどうしたのか?彼を措置入院させた判断は正しいではないか?」と読者は仰ることでしょう。

その通りです、しかし、彼をたった1ヶ月で退院させた判断についてはどうでしょうか?同じ医師が関与しているのではないでしょうか?

当ブログは上の記事で報じられた全国での不正資格取得医の大量発生が、イルミーの策動であると断言します。

恐らく、全国でイルミー精神科医に対して精神保健指定医資格を取得するようにイルミー組織から大号令がかかり、既に指導的地位にあったイルミー精神科医が安易にその資格が得られるように不正取得の道を開いたのだと思われます。

では何故、イルミー精神科医は措置入院指定医にならねばならないのでしょうか?

その理由は、イルミー組織の存在について気づき、その意図を暴く者が社会に増えてきたので、それを抑圧するため、連中が恐怖社会の構築を急いでいるからだと思われます。

それにしても既存の社会システムを使って、いかなる手段でその目的を遂げようとしているのでしょうか?その仕組みを説明しましょう。

まず、イルミー組織はその強力な敵に対して、あらゆる盗聴を仕掛けてその弱点を探り破滅させようとします。しかし、それが困難な敵には、その構成員たちを使って集団ストーカーを仕掛けます。

不特定多数の人間による継続したつきまとい(集団ストーカー)の目的は二つあります。

一つは、その敵(ターゲット)がどのような人間と会っているか、交友関係を完全に把握せんとするものです。イルミーは常に、単独に見える敵が実は巨大な敵集団の一味であることを畏怖しています。その可能性を調べるために集団ストーカーが利用されます。

ここであなたは、「今や様々な通信手段が存在するのだから、実際に会った人間だけを完全に把握しても、幾らでも抜け道はあるではないか?」と笑うかも知れません。

いえ、イルミー組織にとって、電話、携帯・スマホ、パソコン(インターネット)、デジタルテレビによる通信はもはや脅威ではないのです。

彼らはターゲットに関してそのすべてを簡単に盗聴できます。彼らにとって恐ろしいのは、偶然に見える第三者との出会いだけなので、人間の網をかぶせてターゲットの社会からの隔離を試みているのです。

筆者と第三者との会話において、ストーカーの失礼極まりない強引な立ち聞きと、あまりにも不自然な会話への乱入が彼らの意図を明瞭に示すと同時に、ストーカー全員が組織の意図を理解して動いていることを示しています。

二つ目の目的が今回の話題と関わるものです。

集団ストーカーの次なる目的とは、「ターゲットの社会的生命を絶つ」というもので、これはまるで「大勢の勢子が動物を狩るようなもの」と言えましょう。

仮にあなたはマーケットで買い物をしているとしましょう。5人以上の集団で相互監視しつつ接近してくるイルミー構成員たちは、知らないうちにあなたを取り囲みます。そしてそのうちの1人(襲撃者)が、あなたにトラブルを仕掛けてきます。

例えば、あなたは必死になって商品を見比べているとしましょう。襲撃者はあなたと商品の間に、ほとんど隙間がないにも関わらず強引に身体を割り込ませてきます。その失礼に怒ったあなたは、きっと文句を言うことでしょう。

すると、「あなたの方から先に働きかけられた」口実を得た襲撃者は急に勢いづき、逆切れしてあなたの怒りをさらにかきたてようとします。

哀れ、激昂して暴言・暴行の挙に及んでしまったあなたは、襲撃者によって警察に通報され、到着した警察官は渦中の二人を引き離して、それぞれから話を聴きます。

さらに警察官は、周囲にいた第三者から事件が実際のところどうであったか聞き取りを始めるのですが、警察官の少し遅い到着まで現場に残っていた買い物客たちは、全て襲撃者の仲間のイルミー構成員たちなのです。
チームのリーダーから刻々、携帯・スマホによる連絡を受けている彼らは、口裏を合わせて歪曲された事実を警察官に語ります。

つまり、相手をちょっと小突いただけのあなたはパンチを入れたことにさせられ、軽い嫌味を言ったあなたは差別用語を口にしたことにされることでしょう。

イルミーは集団でストーカーすると決めたターゲットは、何年でも追い続け、何度襲撃に失敗しても飽きることがありません。何故なら、今や構成員が豊富な彼らは、毎回新しくストーカーチームを編成できるからです。

「相手の前に無数の石を置き続ければ、いつか相手はそのどれかにつまづいて転ぶ」というのが連中の発想です。何度か警察沙汰にされたあなたは、市の保険関係の職員に面会するように求められます。

ここであなたは市職員に「不特定多数からつきまといの被害を受け続けている」と話すことでしょう。これであなたは連中の罠に落ちました。

京都市において市役所は今やイルミーの巣と化しつつありますが、それはともかく、保険関係の市職員の間で「不特定多数の集団からの継続したつきまといの苦情を語る者は、被害妄想者である」というコンセンサスは出来上がっています。

そこであなたは、市職員から報告をうけた精神保健(措置入院)指定医と面会させられますが、この医師があなたの措置入院要否判断の全権を握っているのです。

そうです、措置入院とは植松容疑者のような明らかに異常な人間のためだけに用意されている措置ではないのです。イルミーはどんな敵であれ、この構図の中に落とすことが出来ます。

こうした仕組みの構築とその進化を願うイルミー組織にとって、まさに相模原の障害者殺害事件は願ってもないものでした。

しかし、PRSの手法(問題‐反応‐解決)を駆使する彼らのことですから、これは仕掛けられたテロではないかとの検討が必要です。

当ブログは、検討を重ねた結果、そうに違いないとの確信を得て、その思考過程を世に問います。

相模原障害者殺害事件がイルミーの策動であると考える理由は以下の五つです。

一つ、植松容疑者の措置入院の要否について判断した精神科医の1人が、その資格を不正に取得した者であったこと。

二つ、措置入院先で、植松容疑者が大麻精神病であることは確定していたにもかかわらず、市職員も医師団もその事実を警察に知らせることなく、薬物依存矯正の措置も取らなかったこと。

三つ、植松容疑者のような筋金入りの薬物依存者が「衆院議長に手紙を書く」などという穿ったことを思いつくはずがないと思われること。安倍総理に手紙を書くなら可能性はあるが、その場合、無数に届けられる同類の手紙とともに破棄されてしまった可能性があること。つまり、捨てられない可能性が高い所に届けた点に、イルミーらしい熟慮が伺えること。

四つ、新聞各紙が、何度も記事を書きながら、植松容疑者の写真をイカれたように見える一種類しか掲載しなかったこと。また、衆院議長に出した手紙の全文掲載も通常あり得ないことであり、世論誘導の配慮が顕著であること。

五つ、2月18日「障害者を殺す」と発言し、19日警察で聴取を受けた植松容疑者が、「大量殺人は日本国の指示があればいつでも実行する」と発言したが、これほどの確信犯が指示を待っていることが奇異に思われること。(彼の言う日本国とはイルミー組織を指すのではという疑念)

この点を報じる新聞記事を紹介しましょう。7月27日の京都新聞によると、(前略)市や県警によると、植松容疑者は2月18日、施設関係者に「障害者を殺すという趣旨の発言をし、津久井署が19日、事情聴取を実施。この場でも「重度障害者の大量殺人は、日本国の指示があればいつでも実行する」と述べたため、市は精神保健福祉法に基づき措置入院を決め、植松容疑者は施設を退職した。入院中の尿検査などで大麻の陽性反応が出たが、その後、症状が和らぎ、「当時はどうかしていた」と反省の言葉があったため、3月2日に退院。市は「結果としてあってはならないことが起きた」と説明した。

さて、植松容疑者の中に障害者を差別し、侮蔑する思想が育っていたことに疑いはないでしょう。しかし、何者かが彼を利用しようと思い立ち、被催眠の状態にして正常状態に戻れないように入墨を入れさせ、暗示を受けたらプログラムされた行動を実行するように仕組んだのならば、「神様の子供19人を刺殺した大罪の主犯は別にいる」と言うほかありません。

12月10日のNHKニュース7において、厚生労働省の編成した検討チーム座長の成城大学山本輝之教授が、措置入院解除後も患者はどの都道府県に移転しても強制的に支援を受け続けるように市役所・病院への連絡が徹底される仕組みの構築を宣言しました。

これなどは、措置入院対象者の人権に対する配慮を著しく欠く発言として注目されますが、イルミー組織の意図を代弁するような迅速な動きが、時代にさす暗い影のように思われてなりません。

これら厚労省の上級官僚や学者たちの中にこそ、相模原の事件の真の主犯が潜んでいるのではないでしょうか?彼らは、何一つ罰せられていません。

それどころか、彼らをリーダーとして、未来社会の構築が進められているのです。これは、日本民族と文明の危機ではありませんか?

いかんせん、措置入院型収容の恐ろしい点は、弁護士を立てて抗弁することが出来ない点です。

いかなる犯罪者であり、弁護士を立てて法廷で抗弁する権利が手厚く保護されていますが、措置入院検討者は「本人の利益のために警察が保護してあげている」のですから、闘争して争う権利がないと看做されます。

これぞ、偽善を武器とするイルミー組織の真骨頂であり、相手を簀巻きにして拷問が出来るのに、「相手のためを思って行動してあげている」と嘯くことが許されるのです。

そこで、私たちは新聞各紙によって刷り込まれた野球帽をかぶった植松容疑者のイカれた写真にこれ以上惑わされてはなりません。

本当にあの顔をしているのは、厚労省の高級官僚たちであり、学者たちであるのですから。(hiyoshikei027)
posted by 日吉圭 at 14:56| 京都 ☁ | TrackBack(0) | 日吉圭新作 | 更新情報をチェックする

2016年11月16日

イルミーとは何か、何故見過ごせないのか?

筆者は昔、娯楽中心のブログを書いていました。しかし、東日本大震災の発生が契機となり、徐々に重い内容を扱うようになってきました。

それは、東日本大震災発生時、テレビや新聞が垂れ流した恐ろしい量の偽善の情報に接したからであり、その裏に隠された野蛮な意思を読み取って身震いしたからでした。

筆者は、社会が、その良心が、心穢れた者たちに蹂躙されるのを防ぐため、少しでも目の見える者が積極的に情報を発信していかねばならないと強く思いました。

当ブログは当時OCN「アマがえるブログ」から発信した東日本大震災関連情報を過去記事に掲載していますが、それらを読み返して頂ければ、今述べたことの意味を理解して頂けると信じます。

さて、では「野蛮な意思」の主体とは何でしょうか?

筆者は従来よりその行為主体を「イルミー」という語で表現してきました。

「イルミー」とは秘密結社のことを指します。それは、米英に本拠を置くその上部組織と、世界中の国々に存在する下部組織の総称です。

米英に本拠を置く上部組織「イルミナティ」については多くの書物が存在するのでそれを参考にしてください。しかし、連中が何もかもありていに何もかも白状するはずがないので、広められた情報を疑う視点もまた必要だと申し添えておきましょう。

ここで、筆者が一般の日本人よりもそうした問題に精通しており文章を書く資格があると信じるのは、その前半生における経験が基になっています。

筆者はかつて科学研究者としてアメリカの大学で働き、同僚の日本人研究者たちが秘密組織に加入していくのを3年の間傍観しました。

「イルミナティ」のメンバーである大物科学者に師事し、その思考について学び、きっちり一月間行方不明になる同僚研究者たちに起こる精神変化について目撃を重ねたことにより、筆者は「イルミー」について理解を深めていきました。

それは恐らく、アメリカという巨大な荒野で、まさに生きるか死ぬかの経験を重ねた者にしか得られない知識であったことでしょう。

ここで、振り返って日本という環境を眺めると、有難いことにそれは大変生ぬるく、この土地にいたのでは秘密結社の恐ろしさについて体感できる人はほとんどいないと思います。また、日本のイルミー組織はアメリカのそれに比べて大変マイルドなので、特に洗脳の恐怖について学習するには不適な環境と言えましょう。

ここで、「イルミー」という語の定義が曖昧であることを不快に感じている人は多いことでしょう。

しかし、それは未知なる対象を論じている以上、やむを得ないことです。筆者は組織に加入してそれを裏切ったインサイダーではありません。傍観しつつ、推論しているのです。そこで「イルミー」とは即ち作業仮説であり、対象についてより深い理解が得られたならば、より精密な言葉を使えばよいのです。

不確かなまま論じているのは、もはやこの存在を無視していれば、私たちの社会が崩壊してしまうからです。民主主義は崩壊しつつあり、共産主義的な監視社会が近づいています。私たちはもはや民主主義社会に後戻りできない分岐点を通過しつつあるとすら言えるのです。

「イルミー」について理解するのに「イナゴ」の例えが有効です。大陸で大発生して各地を渉猟するイナゴの大群についてはよく知られていますが、これには同種のイナゴにおける身体特徴的変化を伴うことが知られています。

従来イナゴは緑の体色でおとなしい性格なのですが、個体密度が増加しストレスを受けると、同じ種でありながら赤い体色の個体が目立つようになります。

この赤いイナゴは土地から土地へ大移動する集団性を獲得しています。そして、恐るべき数の赤イナゴの群れはひときわ大きな身体を持つ大王イナゴの命令に服することが知られています。

さて、これと同様のことが人間社会においても見られるのです。人間の場合は秘密結社に加入することにより、闇の大王の命令に服する見えない軍隊となります。

秘密結社である以上、脱会は許されません。そして、組織の内実について漏らしたならば、死の制裁が与えられます。そして、闇からの命令には絶対服従であり、異議を唱えることは許されません。

つまり、赤バッタになった人間は、実質民主主義社会のメンバーではなくなります。この秘密裏に拡大する監視社会が、私たちの築き上げた民主主義社会を内部から蚕食し、民主主義憲法を無力化しようと策動しているのです。

ここで、「秘密結社」なる語に惑わされてはなりません。

というのは、日本人は「秘密結社」なる語に遭遇すると、「ああ陰謀論か」と思考停止してしまうのが常なのです。

まず、これが国際的に見て極めて特異な性質であることを理解して下さい。

「秘密結社」はそれこそメソポタミア文明の昔から存在しており、欧米人に「秘密結社」について尋ねると、「ああそれはうちの国にもあるよ」とさらりと受け流すのが常です。

こんな人類普遍的なありきたりの話題に日本人はどうして過剰反応してしまうのでしょうか?

それは、「秘密結社」なるものの本質が、明け広げでおおらかな日本人の気質に全くそぐわないからです。私たちは、忌まわしい話題について聞かされるのが極めて不愉快であるが故に、思考停止して心の平安を保つ性癖があると言えるでしょう。

しかし、もはやそんな悠長なことは言っておれない、待ったなしの状況です。大部分の日本人にとって不愉快極まりない「秘密結社」は、社会の要職を独占しつつあり、まるで癌細胞のように日本社会を深く侵しているのです。

私たちは、正確な情報が得られていないという些細な理由で、その議論を停止させるという自殺行為をしてはなりません。

とはいえ、イルミーの実害についてピンとこないあなたには、筆者の真剣さが伝わらないことでしょう。

当ブログは、現実に起きた事件を題材に、秘密結社イルミーの暗躍を推論するという形式をとっていますが、一度イルミーの実害について概論してみることは無益ではないと思います。

まず、第一の実害について論じましょう。それは、デフレ経済の継続です。

私たちは1990年以降ずっとデフレ経済下で生活しています。

この長期化した不況のために、どれほど私たちの周囲で、生活を潤してくれていた個人商店が閉鎖され消えていったことでしょう。

デフレの継続はイルミー組織のアジェンダ(中期目標)であり、彼らは次に僭主型監視社会を予定しているので、民主主義時代を終焉させイルミー組織を社会の隅々まで拡大するために、それを望んでいます。

これは各種相場操縦と労働組合の支配によって成し遂げられています。

つまり、企業業績が上昇しても株式相場等の上昇が人為的に抑圧されているのです。また、労働組合に深く進入したイルミー人脈が、企業の余剰利益を賃金上昇に反映させないようにマイナスの仕事をしているのです。

労働組合とは従業員の賃金を上昇させるために存在するのであり、それが大規模にサボタージュを行っていることを見破れないことが、デフレ継続の根本原因です。

次に、第二の実害について論じましょう。それは、振り込め詐欺をはじめとする各種特殊詐欺被害の横行です。

まず、これらの犯罪にはインターネットの通信技術が悪用されていますが、犯人の追跡を不能とする悪意のインターネットシステムを構築したのが、他ならぬイルミー勢力です。

偶然出来の悪いシステムが出来てしまった訳ではないのです。元来、コンピューター通信というのは、行為主体を瞬時に割り出すことが出来る性質のものです。それが、そうできないということは、工夫して犯人追跡が出来ないように積極的にデザインされているのです。

また、「俺俺」と名乗られるだけで騙されてしまった初期の頃ならいざ知らず、今やこうした犯罪について無警戒な人などいないのですから、それでも騙されるということは、被害者側の特殊事情に犯罪者側が精通して情報を悪用していることを意味しています。

コンピューターも携帯・スマホもデジタルテレビも盗聴自在に設計したイルミー勢力は、盗聴によって得られた情報を積極的に悪用していることに疑いはありません。

同時に多数の犯罪者ネットワークの共同作業が求められますが、それこそイルミー組織なのであり、この組織に加入した者は、例えば周囲に惚けかけた老人を見つけたならばそれを組織に報告する義務が存在するのだと予想します。

筆者の議論を唐突に感じる人のために、もう一つ別の視点を提供しましょう。

イルミーは軍隊組織であり、赤バッタの集団であると述べました。この大規模な特殊詐欺行為は即ち、赤バッタ集団の通常(緑)バッタ集団に対する経済戦争の性質を持つのです。

つまり、連中が望む未来の社会変革を可能にするために、赤バッタ集団が緑バッタ集団より裕福であるように誘導しているのです。また、連中の社会工作に必要な闇の資金を捻出するとともに、通常人の中で裕福な者がその資産を連中とは逆の意図で活用することがないように、取り上げる性質を持つのです。

ところで、この問題につきテレビや新聞といったマスコミは、影にヤクザ組織が存在するが如き報道を繰り返しています。

それはその通りなのですが、読者は今やイルミー成りしていないヤクザ組織など廃業寸前であり、悲しいかなイルミー組織からおこぼれの仕事を貰って糊口をしのぐ存在に成り下がっていることを知らねばなりません。

それが証拠に警察組織は、時折特殊詐欺被害を行ったヤクザ勢力を検挙して仕事をしている体を装っていますが、何百億円という被害額の一円たりとも取り戻したことはありません。

一国の国民の財産が、数百億円規模で奪取されているというのは、国家にとってその存続の試練と言えるもので、警察組織の怠慢が長年問題とされないということが即ち、この犯罪が「お上の犯罪」であることを物語っています。

言い換えると、国家の要職がイルミーに蚕食されつつある今、その金は悪しき者たちのお小遣いを捻出してくれるが故にそれなりの庇護に値するお金ということになります。

別の言い方をすれば、全世界植民地化を目指すイルミー組織が、各国の下部組織に上納金として特殊詐欺のお金を要求しているということです。

上記のことが信じられない人は、イルミー幹部は世界中の通信主体を一瞬にして割り出す能力を有しているにもかかわらず、どうして特殊詐欺被害の摘発に協力しないのか考えてみてください。とうして日本政府は米英の軍に依頼してでも特殊詐欺加害者を割り出さないのでしょうか?言うも愚かだということが分かりますか?

最後に第三の実害について論じましょう。それは、日本の小中学校で荒れ狂うイジメ被害です。

小中学校におけるイジメ被害は沈静するどころか、この数年一気に増加しており、心優しく優秀な子供たちが虐められ耐えられずに列車に飛び込むような悲惨な事件が後を絶ちません。

筆者は「この背後にイルミー組織の暗躍がある」と主張します。

まず、教育関係者間に蔓延しているイルミー人脈がその根源です。

日教組をはじめ、今や教育委員会や小中学校長にもイルミー人脈が拡大しています。

彼らの思考的バックボーンは、主に米英仏学者が打ち立てた教育理論ですが、これが全世界的にイジメを拡大するというイルミーのアジェンダによって歪められています。

例えば、「イジメの犯人探しをしない」という方針がこうした教育学者たちにより提唱されて、日本の文部省の通説となり、通達の形で日本中の学校に徹底されていますが、なんと浅ましいことでしょうか。「イジメの犯人探しをすると犯人は自殺してしまう」というのがその理由ですが、どうも保護する側がどちらなのか根本的な点で狂気がみなぎっているように感じられます。

イルミーは偽善を用い、綺麗事を唱えつつ裏で卑劣な意図を実現していきます。

私たちは教育関係者からイルミー人脈を一掃しない限り、可愛そうな子供たちにそのつけが及ぶということを肝に銘じましょう。

今は二十一世紀です。もういい加減、人類は偽善の恐ろしさにつき自覚すべきです。

さらに、あなたの周囲にどれだけの数のイルミーが存在するかについては、筆者は今や少なくとも五十人に一人以上の数が存在すると宣言しましょう。

日本中のどんな小中学校のクラスにも、親がイルミーの子供が数人はいるのです。

イルミーは軍隊組織です。従って、親の間には階級があり、上下関係があります。

このことが自然と子供たちの間にも上下関係を醸成し、イジメに適し、その摘発に抵抗する人脈を形成することは論を待たないでしょう。

さらに筆者は、アメリカでの経験から、小中学校のイジメに親と子が共同して積極的に関与するケースがあるだろうことを予想します。

イルミー組織はイジメを武器として用い、その構成員に卑劣な話術などを伝授していますが、親はいずれ自らが得た富貴を伴う組織内での地位を子供に譲渡することを望んでいます。

ということは、イルミーの子供は、いずれ親から組織に加入する白羽の矢を立てられるということで、そのためにはイジメを忌避し否定するような人間に育っては困ることになります。

その為には、子供の頃から親子でイジメを楽しむのが理に適っているのです。

子供の間のイジメは巧妙化しており、これに大人が関与していないとは信じられないほど高度なのが常です。

その影にこうした問題が存在する可能性があることを、どうか肝に銘じて頂きたいものです。(
hiyoshikei026)
posted by 日吉圭 at 13:46| 京都 ☁ | TrackBack(0) | 日吉圭新作 | 更新情報をチェックする

2016年06月25日

おめおめと日本のクマを絶滅させられてはなりません

今、テレビは全国の住宅地等に出没するクマの情報をひっきりなしに報じています。

6月20日の毎日放送「あさちゃん」は、神奈川県相模原市の住宅地でクマが出現し人々を驚かせたと報じました。

30年来、そうしたことはなかったそうです。

6月12日の朝日放送「報道ステーション」は、岐阜県飛騨市池が原湿原でクマが出現し、観光客を襲撃したと報じました。

出動した猟友会の人がインタビューに応じていましたが、「こんなところにクマが出現するなんてことはかつてなかった」と首を傾げていました。

それは極めて異例なことだそうです。

同番組は秋田県鹿角市で先月から4人の遺体が見つかり、クマに襲撃されたらしい事件もあわせて報じていましたが、現場近くで射殺されたクマの死体を示した上で、全国でクマの目撃情報が例年に比べて増え続けている事実を報じました。

専門化が言うには、昨秋は一定量のドングリが取れたので、母クマが一斉に子供を生み、そのため神経質になっているとのことです。

それはきっとそうなのでしょう。

しかし、これらの報道から「昨年はドングリが大豊作だったので、全国でクマが爆発的に増殖している」との印象を受けたとしたなら、それはきっと間違いだと申し上げます。

そもそも、クマは警戒心の強い動物で、住宅地には決して近づかなかったものです。

ましてや、人を襲うなどということは、ほとんどありませんでした。

それが、急に人を襲うようになったなら、何らかの訳があるはずです。

当ブログは、「近年クマの猟銃による捕獲が、従来それが行われなかった深山においても大規模に行われるようになったので、クマにとって安全な聖域が消失し、その結果、人里に害意をもって出没するようになった」と推察します。

6月19日の京都新聞はこのような記事を伝えています。
19日午前8時ごろ、高島市高島の願龍寺で、本堂裏のドアガラスに銃弾が貫通したような跡(写真)があるのを寺の総代の男性(62)が見つけ、住職(60)が110番した。

高島署によると、銃弾は寺の北側にあるドアガラス、本堂横の部屋の壁と天井を上に向かって斜めに突き抜け、屋根裏のはりにめり込んだ状態で見つかった。

つぶれており、長さ約一センチだった。

同署は器物損壊の疑いで調べている。

現場は水田や山に囲まれた住宅地だが、周囲は禁猟区ではないという。

発見した男性は「獣害駆除のためにハンターが撃ったのかもしれないが、人家が多い所なのに銃を撃つなんて怖い」と話していた。


この事件を報じたテレビニュースは、周辺で大規模にサル駆除が行われており、弾丸はライフルのそれだと言っていました。

それにしても、今年はサル年だというのに、サルを長年神聖視してきた滋賀県においてこのようなことをなすとは、全く罰当たりと言う他はありません。

そしてこれは、ひとつ間違えば人が死んでいた事件であり、「ちょっとうっかり」の類の事件ではないのです。

察するに、滋賀県の猟友会に野生動物大量駆除の大号令が役所等から下っており、張り切りすぎた会員が無茶をやってしまったということではないでしょうか?

それにしても、クマの凶暴化や猟銃の誤射という客観的な事実が存在するのに、テレビも新聞も、「猟友会が暴走して山を荒らしているのではないか?」というありきたりな疑念に一切言及しないのが気になります。

誰でも思いつくような懸念は、一言言及してそれを緩和するのがその道の人間の常識であるのに、それが一切ないならば「意図的にその話題は避けられている」と考えざるを得ません。

何故そんなことをするのでしょう?

きっと、マスコミには「日本中で野生動物を大規模に駆除していくものの、そのことを一般大衆に悟らせない」というアジェンダ(大目的)が存在するに違いありません。

マスコミはイルミー結社の忠実な下僕であり、当たり前の議論が意図的に避けられている時には、連中の指図があると察して間違いないのです。

では、少し遡って3月5日の京都新聞を見てみましょう。

京都府が絶滅寸前種に指定するツキノワグマの殺処分の在り方をめぐって、自然保護団体と府の間で意見が分かれている。

府が2015年度に許可した殺処分数は西日本で最多の41頭。保護団体の「日本熊守協会」(兵庫県西宮市)は「多すぎる」と批判し、府に改善を求める要望書を提出した。府は、クマの生息数が増えていることや、他の獣害対策とのバランスから「殺処分は適切」と主張している。

クマが人家の周辺に出没したり、果樹に被害を及ぼしたりした場合、都道府県は捕獲や殺処分を許可できる。

同協会によると、15年度の近畿各府県の殺処分数は兵庫県18頭、滋賀県一頭で、その他は0頭。(中略)

一方、府によると、クマの推定生息数は12年時点の500頭から15年に900頭に増え、12年度は515件だった目撃件数も13年度以降は毎年一千件を超えているといい、「人や農作物の安全を考えると、一定の処分はやむを得ない」と主張。わなの大きさの規制についても、「小さくすれば本来の目的であるシカなどの捕獲効率が落ちる」と否定的だ。(後略)


さて、皆さんはゆるキャラ「クマモン」で有名な熊本県に、野生のクマは一頭も存在しないことをご存知でしょうか?

いや、熊本県に限らず、九州全土で野生のクマはとうに絶滅しているのです。

ところが、上の記事は昨年1年度だけで、京都府で何と41頭ものツキノワグマが殺されたことを伝えています。

京都府にまだ41頭も野生のクマが存在したことが驚きですが、これはまさに絶滅を目指した大虐殺が行われていると言って過言ではありません。

それにしても、仏教心篤い日本人は、春日大社の鹿に限らず、野生動物に愛情をもって接してきたはずですが、何故これに誰も怒らないのでしょうか?

これではまるで日本列島に居住する民族が入れ替わったの如きで、なんとも浅ましく酷薄な印象を受けます。

そもそも、何故近年に限って野生動物は人里に出現し、畑を荒らすようになったのでしょう?

そして、その個体数は本当に爆発的に増えているのでしょうか?

そうではないと考えます。

野生動物は決して馬鹿ではありません。長年のうちに人里に出ると殺されてしまうことは学習しています。

であるのに人里に出没するようになったのは、深山が荒らされ安全な聖域がなくなってしまったことと、山における食料の総量が大きく減少してしまったためと考えられます。

ところで、筆者の母校の京都大学総長は愚かにも「鹿カレー」なるものを考案し、京都テレビのCMで「森を守るために鹿カレーを食べよう」と呼びかけていますが、「鹿、即ち森を枯らす害獣」という安易な発想は野蛮で無知な印象を受けます。

もし、山にブナなどのドングリの木が大量に存在するなら、鹿は冬季に樹皮を剥いで枯らしたりはしないでしょう。

野生動物の食物総量は山地において不足しているに違いありません。そして、その原因は、酸性雨だと考えられます。

天気予報はよく、中国本土から大規模に流れてくる高密度の有害な微細物質PM2.5の赤い雲を示していますが、NOXを大量に含むこの汚染された大気は酸性雨を日本全土に降らせます。

その影響で、ドイツのように日本全土で大規模なブナ枯れが問題になっており、それが野生動物人里出没の背景にある根本的な問題と考えられます。

確かに、人間の畑を荒らすことを学習した野生動物は、それが繁殖力の強いシカやイノシシであるなら、一時的にそれらの個体数を大きく増すこともあるでしょう。

しかし、そうなると、人間はそれを上回るスピードで駆除を行いますから、一時の繁栄は結果的に種にプラスに作用せず、動物たちもそのことを知っていると思われます。

そして、繁殖力の弱いクマは、一過的に個体数を増やすことすらないでしょう。

以下の記事は、人間側にクマを殺したい事情があることをそれとなく教えてくれます。

2015年12月10日の京都新聞によると、
北海道は9日までに、道内のヒグマの生息数を科学的データに基づいて初めて推定し、2012年度は1万600頭(平均値)だったと発表した。

従来の調査は狩猟者の聞き取りに基づいたもので、12年度は2200から6500頭と推定していた。

道は、「過去の主観的な印象に基づく推定は過小評価だった」と結論づけた。

道は、雌雄別捕獲数、出産数と出産間隔、生存率、生息密度、痕跡発見率など、これまでのモニタリングや調査で蓄積されたデータを基にコンピューターでシュミレーション。

1990年度から12年度まで23年間の毎年の生息数を推定した。

1万600頭は1990年度の平均値5800頭の約1.8倍で、道は「生息数の減少を受け、90年度から積極的な捕獲をやめたことが原因ではないか。継続して増加傾向にあった可能性が高い」と分析。

ただし、今回の推定頭数は最大と最小の平均値で、プラスマイナス6700頭の誤差があり得るという。


さて、この最後の一節は噴飯ものです。

北海道にヒグマが1万頭いる印象を与える論文を書いておきながら、誤差が7000頭もあるというのです。

ということは、この論文は実際のヒグマ生息数が3000頭であったとしても、成り立つということで、この論文を根拠に「半分の5000頭ぐらいは駆除してもよいだろう」と府の職員が考えたなら、ヒグマにしてはたまったものではありません。

全くこれは、時流に合わせて、権力者が求めることをただ実行したい役人にその行動根拠を与えるだけの茶坊主論文と言え、見るに耐えません。

しかもこれが新聞記事になっているということは、実際北海道のヒグマが乱獲で早晩絶滅してしまったとしても、その責任は、このいい加減な新聞記事に異を唱えなかった読者の責任になるということなのです。

もちろん当ブログは、断固としてこのいい加減な新聞記事に怒ります。

そして、近年の野生動物大虐殺の背景には、いずれ日本中の里山領域を大規模に造成して景気喚起せんとする秘めたる野望があるからと考えます。

それが、山間地に豪邸を建てて住むことを好む外人の思惑で、将来の自然保護団体の警告を憂慮しているのか、それとも大規模に作付けする農業企業の将来の収益性を考慮したものなのか、今の段階ではわかりません。

しかし、野生動物虐殺の意図は明白であり、そのための偽善がこうしてほころびを見せつつある今、読者はその懸念すら口にできない臆病者になってはなりません。

私たちは、その発生時期と規模が予想できていた東日本大震災による大津波が、日本学者たちの連携した悪意で大被害をもたらした5年前の教訓を忘れてはなりません。

そしてもはや、イルミーなりした学者たちの詭弁大合唱によって踊らされる結果、未来に臍を噛まされるようなことがあってはなりません。

忘れてはならないのは、イルミー秘密組織は外人の手先の集まりということです。

今行われている日本人離れした野生動物の大虐殺から目を背けないようにしましょう。

何故なら、その凶暴な悪意の矛先はいずれ、イルミーではない一般の日本人大衆に向けられる性質のものだからです。(hiyoshikei025)
posted by 日吉圭 at 10:42| 京都 ☔ | TrackBack(0) | 日吉圭新作 | 更新情報をチェックする

2016年03月18日

イルミー毒液の浸潤により腐敗的変貌を遂げる法曹界

2015年10月8日の京都新聞によると、司法試験問題の漏えい事件で、東京地検特捜部は7日、教え子の20代の女性受験生に出題内容を教えたとして、国家公務員法(守秘義務)違反の罪で考査委員だった青柳幸一・元明治大法科大学院教授(67)=横浜市泉区=を在宅起訴した。司法試験をめぐり、問題漏えいの刑事責任が問われるのは初めて。女性については、自ら働きかけた証拠がないことから立件できないと判断した。2人とも漏えいを認めている。起訴状によると、青柳被告は今年5月の司法試験で憲法分野の問題作成を担当。自分の研究室などで2���5月、論文式試験とマークシートで解答する短答式試験の憲法の問題を数回にわたり、女性に教えたとしている。関係者によると、女性が作成した論文式の答案は、青柳被告が作成して他の考査委員に配布した模範解答と表現がよく似ており、完成度が極めて高かった。短答式も憲法は満点だった。短答式は複数の選択肢から選ぶため女性の能力で正解した可能性があり、検察内部で立件に消極的な意見があったが、特捜部は青柳被告と女性の供述が一致することなどから漏えいの立件は可能と判断した。青柳被告は「女性への好意から教えた」と供述しているという。司法試験委員会は9月8日、青柳被告を東京地検に刑事告発し、同日考査委員を解任。明治大は同12日付で懲戒免職とした。

さて、私・日吉圭は京都大学理学部を卒業する前、京都大学法学部の学生でした。

最近のことは知りませんが、当時の法学生は刑法を学ぶに際して、自らが「行為無価値」学説の立場に立つのか、「結果無価値」学説の立場に立つのか、判断を迫られたものです。

人間が他人の犯した犯罪を裁くにあたって、主に犯行に至った行為者の主観的側面を非難する(行為無価値)のか、それとも行為者の行為が社会に及ぼした損害の大きさを非難する(結果無価値)のか、思考の基盤を定めることが求められたのです。

当時私は「行為無価値」学説の大家である大塚仁の教科書で学んでいたこともあり、その思考法を至極妥当と感じていました。

両説の対立の背景には、「人が人を裁くことができる根拠とは何か」という深遠な哲学的問題が横たわっています。そこで、両説は本来折衷できるものでなどなく、本質的に背反な学説だと言えるでしょう。

はて、そのことが前閲の新聞記事とどう関係するというのでしょうか?きょとんとされていることでしょうが、ここは少し気長にお付き合い下さい。

仮に、殺人の目的で山に毒キノコを採取に出かけた者が、種類を間違えて無毒のキノコを採取してそれを他人に食せしめた場合、この危ない男を裁かないでよいものでしょうか?

また、夫は妻を殺害しようとして毒薬の瓶を隠しておいたところ、賢い妻は何となく危険を察知してその内容物を小麦粉にすりかえておいたとしたらどうでしょう?実際に瓶の内容物をこっそり妻に食せしめた夫を、法は裁かないでよいものでしょうか?

「行為無価値」学説は社会がこれまで培ってきた倫理規範を犯して行為に及んだ行為者の主観的態様を非難しますが、「結果無価値」学説は結果として社会の利益が害された程度においてのみ、行為者の行為に罰を与えようとします。

そこで、前者の学説では男は殺人の過失犯として裁かれる可能性が高く、後者の学説では男は無罪になる可能性が高いと言えます。

本来、刑法に携わる者はいずれの学説に組してもよいはずなのですが、いつのころからか新しく法曹となる者の中で、行為無価値学説の立場に立つものはいなくなりました。これはどうしたことでしょう?

その理由は、法曹となるためには越えねばならない関門である司法試験において、行為無価値学説が取り上げられなくなったからです。つまり、司法試験の短答試験においても論文式試験においても、行為無価値論者の文章は出題されることがなくなったのです。

この劇的な変化は、私が京大法学部を卒業した1988年から数年経つと顕著になっていたように記憶します。当時、司法試験の刑法問題は結果無価値論者の前田のテキストさえ読んでおけば解けるようになっていたことを知って、驚いたことを覚えています。

この頃から(旧)司法試験において、恐るべき悪問が目立つようになりました。それは刑法と憲法の短答式試験において頻出したのですが、そこそこの長さの文章が5つぐらいに分割され、その順序がばらばらにされているのです。その文章を読んだ上で設問に取り掛からねばならないのですが、文章の序列を正すだけで膨大な時間を要してしまうので、その文章に精通しているかそうでないかで決定的な差がついてしまうような問題でした。

このような悪問が出題されるようになった背景には、受験生の思考を一定の学説に誘導しようとする出題者の露骨な意図があると言えます。

憲法においてもそうでしょうが、特に刑法においては、行為無価値論の立場に立つ受験生においてそのデメリットは顕著です。

刑法における両学説の間には哲学的に深遠な溝が横たわっているのです。数分で解かねばならない短答式試験においてそこに横たわる深遠さに向き合った者は試験時間が足りなくなることは自明で、結果として司法試験は結果無価値学説のテキストを丸暗記した者にしか微笑まないことになってしまいます。

ここで、もし、司法試験考査委員たちがその思想の根底に公平の概念を涵養した者たちだけで占められていたなら、このような悪問が横行することはなかったでしょう。

けれども、結果として悪問が頻出するようになったということは、司法試験考査委員たちのモラルが全体として著しく低下したことを反映しているに違いありません。その一端を、今回のモラルハザード事件に見ることができます。

ところで、どうして司法試験の考査委員たちは悪問を頻出させて、特定の学説に偏重した者たちだけが合格するようにバイアスをかけたのでしょうか?そうすることの利益は何なのでしょうか?

筆者はアメリカで父ブッシュが大統領になった時からイルミー新時代が始まったと考えていますが、アメリカの政権中枢を秘密結社イルミーが占拠し、その毒液を日本国に垂らし始めたのは民主党クリントン政権からだと考えます。

それと期を一にして日本国ではバブル経済が破裂し、失われた10年(20年?)というデフレ時代が始まりました。

それが1990年頃で、これは先に述べた司法試験で悪問が頻出し始めた時期と一致します。

そこで、それまでにイルミーにより塗り替えが進んでいた日本の諸学界において、イルミー新時代創出のための策動が一気に加速し、それは法学者においても同様だったのでしょう。

では、どうしてイルミー新時代の刑法には結果無価値学説が適しているのでしょうか?

このことを説明し始めると長くなりますが、簡単に言えば、堂々と悪をなす集団であるイルミー結社員たちには伝統的な倫理概念が馴染まないのです。

しかし、彼らは今や日本社会の要職を独占し、それら諸分野に一般日本人が再進入しないように排斥し、筆者がブログで指摘してきたようなさまざまな悪行を集団で遂行しています。

その彼らの歴史が裁かれることがあってはならないのはもちろん、悪人集団であるイルミー結社員たちがすんなりと社会の中枢を占拠し続けられる刑法は、結果無価値学説以外にはないのです。

例えば、私・日吉圭は日々イルミーたちの集団ストーカー行為により監視されていますが、彼らがこの悪行を未来社会において自発的に慎むなどということが起こる筈もありません。

ならば、そうした悪行が「支配者に適したイルミー構成員たちが社会を維持するために必要不可欠な要素」として公認される刑法が必要とされるのです。

それが、日本の精神文化を培ってきた仏教や神道によって涵養された倫理規範とは無縁な所に構築されねばならないのは自明と言えましょう。

いやはや、何事も悪いほうに進んでいます。直視すれば目を覆うばかりの惨状です。

法曹界においては1990年頃、革命と称してもよいほどの変化が生じており、そこから染み出す毒液が今回のような事件に反映していると言えるでしょう。

そのことは、司法試験受験に際して不正を働いたことが既に実証された女性合格者が、時間を遡って不合格とされていないことからも読み取ることができます。

「自発的に司法試験問題の開示を求めたとは言えない受験生に対し、その罪を問えない」とは全く馬鹿げた言い草です。

これは法曹界に既に侵入し終えたイルミー細胞たちが、新入りの細胞を庇っている絵以外の何物でもありません。

イカサマ受験生の人権は厚く守られているようですが、そんな人間が弁護士や裁判官になった暁の、私たち市民の人権はどうなるというのでしょう?私たち市民には、そのような弁護士や裁判官を見分けて忌避する権利などかけらもないのです。

そこで、今回の事件の裁きはまったく手ぬるく、話にもならないと言えましょう。

また、このような新聞記事もあります。

10月6日の京都新聞によると、司法試験問題を教え子の女性に漏らしたとして国家公務員法(守秘義務)違反罪で在宅起訴された元明治大法科大学院教授の青柳幸一被告(67)が、今回の司法試験でマークシートの短答式が実施された2日前の授業で「短答式に出した」と問題に触れる発言を学生にしていたことが8日、関係者への取材で分かった。この時の講義内容は学生が録音。東京地検特捜部はこの記録を入手しているが、問題の具体的内容まで教えたわけではないとして起訴対象にしなかったとみられる。関係者によると、青柳被告は授業で、財産権に絡んで「今年の司法試験の短答式に出した」などと発言した。

さて、事件の要所をうまく誤魔化して問題化させない京都新聞社の配慮も残念ですが、決してこの男が恋愛感情だけで卑劣な行為に走った破廉恥漢ではないことが記事から読み取れます。

彼はイルミー新時代を担うに足る新入り法曹すべてに便宜を図ろうとしていたのであり、今回の事件の深奥を一顧だにせず、エロ事師の暴走事件だと皮相な解釈をして、イルミー法曹関係者たちの胸を撫で下ろさせることがあってはなりません。

法精神が根底から骨抜きにされた未来偽善社会の創成が着々と進んでいることに背筋が寒くなりませんか?

日本社会が神道と仏教により営々と培ってきた倫理規範の一切が「不安定で頼るに足らないもの」と一蹴されてしまい、穢れた米英貴族の利害だけが社会の支柱となる、そんな時代が忍び足で近づいてきています。(hiyoshikei024)
posted by 日吉圭 at 14:39| 京都 ☁ | TrackBack(0) | 日吉圭新作 | 更新情報をチェックする

2015年10月26日

大阪女児放火殺人事件の再審決定報道を見て思うこと

10月23日の京都新聞によると、大阪市東住吉区で1995年、11歳の女児が焼死した火災で殺人や現住建造物等放火などの罪に問われ、無期懲役が確定した母親青木恵子元被告(51)と、同居相手の朴龍晧元被告(49)が申し立てた再審請求で、大阪高裁(米山正明裁判長)は23日、「自然発火の可能性がある」として2012年3月の大阪地裁決定に続いて再審開始を認め、検察側の即時抗告を退けた。
服役中の2人に対する刑の執行を26日午後2時で停止することも決め、約20年ぶりに釈放される可能性も出てきた。
検察側は執行停止決定に即日異議を申し立てた。
再審開始については最高裁への特別抗告を検討する。
確定判決の柱は「車庫でガソリン約7.3リットルをまき、ライターで火をつけた」という捜査段階の朴元被告の自白だったが、米山裁判長も地裁決定に続いて弁護団が建物などを再現して実施した火災実験の結果を重視。「車庫に止めた車の給油口からガソリンが漏れ、約90センチ離れた風呂釜の種火から引火した自然発火の可能性が具体的に認められる」と弁護側主張をほぼ全面的に認めた。
再審段階で実施された火災実験については「再現性が相当備わっている」と評価。いずれもガソリンをまき終える前に風呂釜の種火から引火して現場が「火の海」になったのに、朴元被告がやけどを負わなかった点などを踏まえ「朴元被告の自白に信用性を認める前提がなくなった」とした。
検察側は抗告審段階になって実施した実験で弁護側の実験結果を覆せず「自白に疑問が残ることは否定しがたいが、放火したという核心部分は信用できる。自然発火の可能性はない」と反論し地裁決定の取り消しを求めていた。
(中略)
火災は95年7月22日に発生。青木元被告の長女めぐみさんが風呂場で焼死した。2人は共謀し、保険金目的で殺害したとして逮捕・起訴され、大阪地裁、大阪高裁、最高裁はいずれも無期懲役が相当とした。


さて、23日のテレビは各局ともこのニュースをひっきりなしに報じ、私はそれらをできる限り視聴しました。そして、「果たしてこの長女めぐみさんは、朴元被告の実子なのかどうか」疑問に思いました。

何故なら、他人の子を疎ましく思うのは動物のオスに共通する習性で、熊やライオンはメスを得たら前のオスの子供を殺してしまうことが知られているからです。

人間にもその習性が当てはまるのは残念なことですが、愛人の連れ子を憎む男親が子供を虐待するのはよくある話で、母親は実の子に対する暴行を黙認し、場合によっては虐待に加担するケースがよく報じられています。

ニュースはどれもこの点を曖昧にしていましたが、読売テレビten.は長女の顔写真を報じたときに下に「青木めぐみさん」と表示していたので、これが本名と思われます。

朴元被告は青木恵子元被告が同棲していた相手でしたが、このような場合、めぐみさんは母親と前夫の間に生まれた子供と考えられます。

読売テレビten.が報じたところによれば、朴元被告が青木恵子元被告と2人の子供と在宅中、めぐみさんは一人風呂に行ったことを家族は見たそうです。そしてほどなくして車庫から火が出て、めぐみさんを除く3人は避難したそうです。

この出火が朴元被告の放火なのか自然発火なのかはさておき、家族は皆逃げているのに、風呂に行ったことを知っているめぐみさんを何故誰も助けなかったのかが引っかかります。

風呂場の窓は閉っているでしょうから、すぐに煙が充満するはずもなく、めぐみさんを助けられたはずです。
また、もしめぐみさんに意識があったならば、隣接する車庫の異変に気づかないはずがなく、家族に大声でそれを知らせたはずです。そうすれば、家族は少なくともめぐみさんに「逃げなさい」と指示を与えることぐらいは出来たでしょう。

ところが、現実にはめぐみさんは風呂場で死亡していたのですから、「彼女は既に意識を失った状態で風呂場に放置されたのではないか?」との疑念が頭をよぎります。

ここで、日弁連が多額の費用をかけて行った再現実験(関西テレビゆうがたLIVEワンダーに拠る)によると、起訴状にあるとおり朴元被告が車庫で7リットルのガソリンをまいたとすれば、風呂の種火で自然に引火することがわかりました。

ならば、彼はライターで火をつける必要がないばかりか、火の勢いが強いためそれは不可能ということになります。

弁護側は、ここに起訴状の信用は崩れたとして、朴元被告が警察の強要により嘘の自白をさせられた可能性を主張します。

さて、実際のところはどうだったのでしょうか?ここで、殺されためぐみさんには多額の保険金がかけられていたことが両親に対する疑念を生んでいます。

日弁連は別の再現実験で、車庫にあったのと同型の車は、ガソリンタンク満タンの状態でアクセルを踏み続ければガソリン漏れを起こすことを示しました。

そこで「車庫には既にガソリンが充満していた可能性を否定できず、事件は殺人ではなくただの事故だった可能性を考慮しなければならない」と説きます。

しかし、この主張は少し詭弁に過ぎると思われないでしょうか?

満タンの車のアクセルを車庫内でふかす必要などなく、仮にガソリンが漏れたとしてもそれが家を丸焼けにしてしまうほど多量であったとは思えません。

仮に車が欠陥車であったとしても、家人は小さな漏れのうちに大概臭いで気づくものです。

どうも、日弁連は自らの主張を現実化するために、金にまかせて無茶な実験をしているのではないかと思ってしまいます。

ここで、私・日吉圭は事件の真相がこのようなものではなかったかと推理します。

一つの可能性は、殺人の実行行為はあったものの、警察が裁判をつつがなく進めるために自白を誘導したというものです。

車庫にあった朴元被告の車のガソリンタンクの蓋は半開きになっていたことがガソリン漏れを示唆する証拠と弁護側は主張していますが、これはおそらくサイフォンの原理でガソリンタンクからガソリンをまく際に、慌ててきっちり閉め忘れたことによるのではないでしょうか?つまり、ガソリンが車外のポリタンクに入っていたというのは、警察官の誘導ではなかったでしょうか?そして、ガソリンは風呂場の種火から自然に引火したので、朴元被告が着火する必要はなかったというのが真実ではなかったかと考えます。

裁判においては、殺人の意思が行為から明白に推定されることが求められます。ここが覆されると刑は大幅に軽減されてしまいます。そこで、警察は裁判を有利に進めるために、真実を捻じ曲げてでも、明白な実行行為が存在したかのように書類上見せたのではと推察します。

もう一つの可能性は、殺人の実行行為は存在し、かつ放火に関する起訴状の記述も正しいというものです。

めぐみさんが既に死亡しているか意識を失った状態で風呂場に運び込まれ放置されたのならば、種火はつける必要がなく、車庫に充満したガソリンにライターで火をつけねばならない必然性が存在します。

いずれの可能性にせよ、自然発火は到底想定できず、両親はめぐみさんに多額の保険金をかけており、容易であったはずの救出も試みなかった不自然さから、有罪が当然の事例であると考えられます。

また、両被告が「言ってもいないことを勝手に起訴状に書かれた」と主張するならいざ知らず、その内容を理解し認めているのですから、その事実が簡単に覆って再審が認められるような事例ではないと思われます。

もしかしたら、弁護側は警察の誘導による起訴状の捏造という事実を重く見て、一罰百戒のつもりで再審請求を行っているのかも知れませんが、司法に携わる者は真実の追求を怠ってはならず、めぐみさんが殺されているのならばその魂が浮かばれることを念頭に置かないといけないと思います。

では、ここで視点を変えましょう。

何故日弁連は事件後20年も経ってから多額の費用をかけて再現実験を行ったのでしょうか?そもそも、冤罪が疑われるような事例ならば、審理中に十分な再現実験を行うべきでした。両元被告が長期間の服役を行った今頃異議を唱えても、時宜を逸しています。

この問題を考察するに、私・日吉圭は、イルミー組織がこの事件に大きく関わっている可能性を指摘したく思います。

まず、イルミー組織が司法界に浸透するに際して、お金の力で自由になりやすい弁護士業界においてその構成員を増やしていった過去があります。

この事実をもっとも端的に表すのが、山口県光市母子殺人事件において「母子の殺人と死姦を妄想状態で行った趣旨の供述をした被告に殺人の意思は認められず無罪である」と主張した21人からなる大弁護団の存在です。

この弁護団は当然、日弁連のそうそうたる面々から構成されていましたが、一体誰が何のためにかくも偽善を駆使した詭弁とも言える主張の弁護に大金を投じたのでしょうか?

少し脱線しますが、光市の事件と言われて思い出すのが、この大弁護団に敢然と立ち向かいテレビで彼らを非難する暴言を吐いていた橋下徹弁護士です。

大衆の言いたくても言えない義憤を形にした彼は大人気を博し、大阪府知事に当選する原動力となりましたが、彼は後に大阪市長時代に21人の弁護団の一人を自ら主催した勉強会に迎え入れ、同じ穴のむじなであることを白状しました。

なんのことはない、彼も連中と同門だったのです。弁護団の存在に対し盛り上がった世論の怒りのエネルギーを利用するために、逆転の発想で正義のヒーローを一人仕立てただけでした。(シーソージャンプ)

そうでなければ、橋下市長は大弁護士団から提起された名誉毀損訴訟に忙殺されて、政治の仕事には専念できなかったでしょう。そうならなかったことが、真相を語っていると思います。

ここで、「何故今なのか?」という問題に立ち返りましょう。

私・日吉圭は、日弁連がその組織力を示す示威行動の題材として、再審請求して覆せる事案を探していたのだと想像します。

そして、この東大阪の事件が最適だと判断されたのでしょう。

イルミー組織にとって正義の実現などどうでもよいことで、彼らはその制圧下に置いた日弁連という組織を、日本侵略の橋頭堡として最大限に活用できる題材をただ欲していただけでしょう。

だから、20年も経ってからの大実験なのです。

連中は、裁判所と検察という国家権力を飼い慣らしその人的序列を自らに有利に再編するため、この題材を選んで一種の戦争を仕掛けているのだと考えます。

「戦争」などという言葉を使うと多くの読者は眉をしかめるでしょうが、彼らは今、世界同時革命により世界統一政府を樹立しようと動いているのです。

「アラブの春」と称された中東の同時民主化革命はまさにその一環で、民主化という偽善の方便を用いてイルミー勢力が支配する国家へと各種民族国家を改変しているのです。

ところで、日本国は今TPPに加盟しようとしていますが、もし加盟すると加盟国の企業は国を相手に訴訟を起こせるようになることをご存知でしょうか?

当ブログはそのような時代になったら、強大な多国籍企業の力で日本人の権利が徐々に奪われていくことを強く懸念していますが、そのためにこそ司法権を手なずける必要があり、その作業は既にこのような題材を契機に進行しているのだと想像します。

そしてこれは明白な侵略の意図を秘めた行為なのです。

そうなれば、在日(韓国人、中国人等)勢力をその大きな柱とする日本イルミー組織は、日本社会を牛耳るエリート層へと飛躍していきますが、そうした新時代のしつけとしてこの「大阪女児放火殺人事件」が題材に選ばれたのだと思われます。

その組織員に多くの裁判官や検察官も抱えるイルミー組織は、インサイダー情報により事件の真相を知っているので、起訴状の信用失墜は既に達せられたと考え、朴・青木両元被告の無罪は確定したかのように思っているかも知れません。

しかし、彼らは「無理が通れば道理が引っ込む」とばかりに、少し組織の大を過信して調子に乗っているのではないでしょうか?

いくら何でもこの事件は真相が透けて見えているので、これを題材に選んだのは、日本人の民度を甘く見るイルミー組織の油断があったと思われてなりません。

イルミーに制圧されている日本マスコミは新聞・テレビを問わず、長女めぐみさんの姓が青木であることを隠し通しました。ですが、このような事件を考察するのに重要な情報を意図的に隠す行為は「大衆」を「そのエネルギーを利用するだけの下等な存在」と見なしているマスコミの浅薄な腹の内を晒してしまっています。
私たちは、そこまで舐められるような愚かな存在ではありません。

既に、その意図を暴露するこのような文章が世に出ている事態を重く見るべきだと思います。

マスコミが吹聴する事実を誰も真に受けない近未来がすぐそこに迫っていることを示しているからです。(hiyoshikei023)
posted by 日吉圭 at 14:41| 京都 ☀ | TrackBack(0) | 日吉圭新作 | 更新情報をチェックする

2015年10月18日

実体験から学習したイルミーの二層構造の解析

私は日本中で大繁茂しつつある秘密結社的統合体を「イルミー」と名づけました。

インターネットで検索するとお節介にも「イルミーとはイルミナティの略である」と説明しているサイトを見かけますが、それは正しくありません。

確かに「イルミナティ」という概念はイルミー結社の本質を理解するのに役立ちますが、その言葉を広めているのは他ならぬイルミー結社なのですから、それにすんなり乗っかっていると本質を見失います。

秘密結社がその姿を進んで開示する訳がなく、連中が積極的に何らかの概念を広めているなら、それは多くの人々に誤解を引き起こさんと企んでいることは明らかだからです。

よって、その呼称は「イルミー」でよく、WHO'S ILL. IT'S ME. で「イルミー」と理解してください。

さて、秘密結社はカルトを骨格として成立しているもので、多々ある秘密結社の総本山的存在である「イルミー」はまさにそうなのですが、ここでカルトとは宗教に似て非なるものであることに注意して頂きたく思います。

そもそも、宗教とは「理性的に万人の幸福を願う集団」に対して名づけられるべき呼称ですが、カルトとは「組織から抜けると制裁され、場合によっては殺されるという負の観念によって成立している集団」のことで、宗教と呼ぶに値しません。

もちろん、カルト教団に所属する個人は、洗脳・催眠状態で注入された美しいお題目を整斉と唱えるものですが、宗教信者が理性からそれを唱えているのと異なり、カルト信者はいわば強制的に唱えさせられているだけです。

そこで、カルト教団の下部構成員は一般の宗教信者と見かけの善良さにおいて大差ないでしょうが、その差異は教団の教義と一致しないような行動を求められた時に明らかになります。

例えば、「見ず知らずの特定の個人を騙し裏切れ」といった命令が上から発せられた場合に、真の宗教信者なら怒って命令を峻拒するところ、カルト信者は整斉と命令に従い、その訳すら知ろうとはしません。

それは、行動を引き起こしている動機が、真の宗教信者の場合心の平穏であり善悪の判断であるのに対し、カルト信者の場合は自身の物欲だからです。だから、カルト信者が整斉と教団が推奨するお題目を唱えるのは、「そうすることで教団が提供してくれる利益をより潤滑に享受できるから」に過ぎないのです。

そこで、両者を区別できる分かりやすい基準は、「その教団・団体が脱会自由であるかどうか」ということになります。実際、カルト教団は脱会者に制裁を課しており、実質的に脱会は不可能になっています。

以上、イルミー結社が宗教団体でないことはお分かり頂けたでしょうか。

では次に、何故私がイルミーを「秘密結社」と呼ばず、「秘密結社的統合体」と呼んだかを説明しましょう。

これは、私がかつて所属した科学界で見聞したこと、また一年半集団ストーカー被害に遭って学習したことを総合した結論ですが、イルミー結社はその「上部組織」と「下部組織」の二層構造から構成されています。
その上部組織が厳然たる軍隊的組織なのに対して、下部組織は「村的共同体」とも称せられる緩やかな統合体で、両者の共同作業によりイルミー結社の目的が達せられていくことになります。

この上部組織は加入者に対して洗脳・被催眠を強制するのに対し、下部組織はそうではなさそうです。

そこで、恐らく加入時に遺書(将来組織から制裁されても自殺と判断されるための準備)を書かされるなど締め付けのきつい上部組織の構成員は、上から来る命令に対して従順そのもので反逆の問題は生じないのでしょうが、下部組織においてその可能性はゼロではなく、様々な強制力が常に構成員に働き、その結果反抗の芽が摘み取られていることが求められます。

この被催眠の程度において緩い下部構成員こそ日本におけるイルミー結社の弱点と想像しますが、実際私は日々彼らと接触して、その誰一人として、私に有益な情報をもたらさないその結束の固さに驚嘆しています。

この強力な組織的結束の求心力を考えるに、それは「被差別」の意識なのでしょう。

私・日吉圭とストーカー集団との一年半のやりとりは、彼らの下部組織の一つの本質が「外国人部隊」であることを教えてくれました。

外国人部隊には、日本在住の白人・アジア人、留学生、混血の日本人などがいますが、なんといってもその中核を成すのは「在日朝鮮人」であり、次に「在日中国人」が続きます。

集団ストーカーには似た顔の異なる人間が代わる代わる登場してくるため、加害者の同定が極めて困難になっていますが、それは在日朝鮮人や在日中国人の集団内に存在する種々の血族が、一族総出でストーカー作業に従事することで可能となっています。

その彼らの口が恐ろしく堅いのは、彼らが一般の日本人を敵と見なして結束していることによるのでしょうし、そこに歴史によって醸成された憎しみの感情が存在することは論を待たないでしょう。

ですが、それにも増して予想される要因は、「協力的でないと見なされることによって集団から村八分にされる恐怖」であると思われます。

恐らく、これら閉鎖された集団にはその出生の秘密を暴露してあらゆる社会活動を妨害する差別団体がつきまとっており、集団から見放されると生活が困難になるのだと思われます。

そして、意外に思われるかも知れませんが、ヘイトスピーチを行う右翼団体などがそうであるように、そのような差別団体もまたイルミー組織を構成する一角なのです。

彼らからみて家畜に過ぎない「閉鎖的集団が反抗しないように見張る番犬の役割」と言えば分かりやすいでしょうか。

「イルミーに所属することにより逆にイルミーの力で差別的に囲い込まれている」この矛盾に、真に差別から抜け出したく思う人々は早く気づいてもらいたいものです。

ここで、イルミーの上部組織と下部組織の関係を理解するのに、がん細胞に侵された人体をイメージすると分かりやすいでしょう。

断っておきますが、これは決して「ヘイトスピーチ」の類ではありません。私は想像でものを言っているのではなく、実体験に基づいて語っています。

また、イルミー組織は一般の日本人を勝手に敵と見なして、最終的には死に至る破滅を常に画策しています。彼らは官公庁であれ、企業の役職であれ、一度手にした権力と収入を伴う地位を決して一般日本人に返さず、どんなに不出来な者であれ組織内の人間にそれを継承させています。

これはがん細胞が人間の健康を蝕む一方でがん組織だけに栄養を集中する様そのものです。もはや状況は静観できるようなものではなく、緊急を要する事態と言えます。

後でも述べますが、今や彼らの方が日本国の権力の把握において上位となりつつあるのであり、弱者を痛めつける「ヘイトスピーチ」と同一視されるものではありません。

さて、本題に戻りましょう。西欧イルミー幹部は日本が韓国や中国のように政権が完全にイルミー支配された国になることを望み、日本国内のイルミー組織の連携によって権力ある地位の奪取を進めてきました。

けれども、日本という国は西欧諸国と違って元来秘密結社の伝統を有しない国でした。そこで連中は、最後の元老と呼ばれた西園寺公望などの有力な組織員を使って朝鮮半島から大量の人間を労働力の名目で日本国内に注入させたのだと思われます。

彼らは戦後、在日韓国人と呼ばれ、日本国内の各種部落組織と連携して、イルミーという一枚岩の秘密結社形成の一翼を担うようになったと予想します。

しかし、差別意識の強い日本国という風土において、彼らの社会進出はその強い連携をもってしても進まなかったのでしょう。

そこで、イルミー結社員による日本国の簒奪を目指す西欧イルミーは、日本国のエリートに対しその構成員になるよう圧力をかけ、同じイルミー構成員として協力し合うように強いたのだと思われます。

私はかつてアメリカの西海岸で、日本の国立大学の教授を目指すような将来有望な研究者たちが現地で一ヶ月の洗脳研修を強いられている実態を目にしました。

洗脳技術の進歩した米英は、のこのこと留学にやってくる日本国のエリート層に対して、こっそり洗脳を施さずにはいられないのです。

同様のことは私の所属した分子生物学以外の分野でも広く行われていることは自明ですが、彼ら上部組織員は米英の心理学研究所のようなところで時間をかけてしっかり洗脳された者たちです。

彼らは帰国して国内の他のイルミーエリートたちと連携して出世を遂げていきますが、西欧イルミー幹部は権力を得た彼らにイルミー下部組織への便宜を図るように命じ、必ずしも全員洗脳されている訳ではない下部組織は、イルミー上部組織と連携する旨味を学習して連携を深めていったのだと思われます。

この様を先ほどの人体の癌のモデルに例えると、下部組織はがん細胞本体であり、上部組織はそこに優先的に栄養を送る血管ということになります。

がん細胞は周辺組織に血管造成ホルモンを分泌し、正常細胞の一部はその働きかけに応じて、がん細胞に至る血管を新生しその一部と化すのですが、イルミー成りした日本人エリートの矛盾を理解するのに助けになりませんか?

彼らはライバルを蹴倒し容易く出世を遂げるために、頼ってはならない禁断の勢力に身をゆだねてしまった者たちです。

けれども、イルミー成りした日本人エリートたちは、「日本国を担う実体が知らない間に置き換わったとしても、その者たちがいずれ日本国の伝統・文化を継承する主体として成長していくだろう」という甘い考えに浸っているだろうと予想します。

これは手前味噌過ぎて涙が出るほど無知な考えです。

部落組織は別にして、在日韓国人、在日中国人組織内には、日本人に対する強烈な憎悪が涵養されています。彼らがいずれ同化して日本人らしくなり、日本国の歴史が綿々と続いていくなどありえません。

そもそも、西欧イルミーが日本国内にイルミー組織を跋扈させているのは、いずれ腐り果てて日本国が倒れた時に、富も権力も何もかもごっそり頂くためです。

つまり、「イルミー組織」も西欧貴族にとっては「道具」なのであり、がんの浸潤が進んで人体が滅びたあとがん細胞も腐り果てるように、連中は少数のイルミー幹部だけを残して後は不要とするでしょう。

また、各種イルミー組織の連携によって、未来に日本国の実質的進化に繋がる何かが生まれてくると考えるのも愚かです。

確かに「協力」というのは尊い行為で、そこから有益な何かが生まれてくる確率はゼロではありませんが、イルミー組織は問題・反応・解決の手法(PRS)を使って社会を変革しようとします。これは破壊的な手法で、既存社会が培ってきた調和を残虐に叩き潰すことにより、流れ出る血潮を啜ろうとする手法と言えます。

この手法に通じた者だけがイルミー結社内で階級を上げていくのであり、心穢れた彼らから社会の実質的発展が生じるはずがありません。

また、イルミー下部組織員たちも、村八分の生贄にされることにおびえ続ける彼らから何か積極的な発想が生まれてくることなどないでしょう。彼らは「どこぞの誰かをストーカーしろ」と言われて、整斉と動ける連中です。まともな人間なら、もしそんな命令を浴びせられたら、激怒すると同時に相手を軽蔑するのが普通ではありませんか?

「モラル」こそすべてを生み出す基盤となるものであり、歴史と真の宗教が長い時間をかけて涵養するものです。人倫廃れたイルミー組織員から創造的な何かが生まれることなどありません。

それどころか、社会にもし積極的なプラスの変革がなされたなら、それによって生じる権力地図の塗り替えは、新勢力に確固たる権力の基盤を築かせる結果になるので、その主体になる可能性のないイルミー組織にとって最も忌むべき事態と言えます。

だから、イルミー組織員は連携して、社会の進化を食い止めるために、生まれ出でた優秀な人材の芽を摘み取ろうとするのです。毒を飲まされた私・日吉圭が優秀であったかどうかは別として、どれほど多くの貴重な日本の人材が彼らの連携でお釈迦にされたか、私たちはもうこの膨大な社会的損失に無関心でいる訳にはいきません。

ところで、悪ずれしてもう社会の役に立ちそうにないイルミー構成員は多いものの、私は日々、まだまだ助けられそうな立派なイルミーの若者たちを目にしています。

彼らが卑しいストーカー行為に勤しむ中で、徐々に自身の貴重な何かを滅ぼし、後戻りできない地獄に落ちていくのを見るのは、残酷すぎて耐えられない気がします。

イルミー組織員で歳を重ねた者たちは、こうした状況を憂うどころか、「やっとお山の大将になれた」とばかりに、彼らにストーカーの命令を発し、「ターゲットに卑劣な嘘をつき、罠を仕掛けよ」と命じているのです。

なんとも浅ましく呆れ果てた連中ではありませんか?

はっきり言って、連中は大人ではありません。たとえ見かけは老境に達していようとも、彼らは幼児なのです。

ただ組織に甘えているだけならかわいい幼児ですが、彼らは集団の大なる力に陶酔し、自らを「オロチ」に見立てて「逆らう者は皆殺しだ」と吼えている手に負えない幼児なのです。

どうでしょう。連中に社会を蚕食されるままでは、一般の日本人に未来がないことがお分かり頂けましたか?

そこで、まだ民主主義体制下であり、平和の面影を残している今の時代において、日本国の歴史・文化を尊ぶあらゆる人々は、協力してイルミー組織と戦わねばならないのです。

例えそうすることが、集団ストーカーに取り付かれる結果になろうとも、また命を狙われることになっても、そうしなければならない必然性がお分かり頂けたでしょうか?(hiyoshikei022)
posted by 日吉圭 at 15:40| 京都 ☀ | TrackBack(0) | 日吉圭新作 | 更新情報をチェックする