2015年02月03日

集団ストーカーは何を目的としているのか?

筆者は、自宅を出てしばらくするとストーカーに付きまとわれ始め、それは電車やバスなどの交通機関に乗っても途切れることなく、通常、病院に行くか買い物に行くかどちらかの筆者は、目的地に到着すると付きまといが最高潮になると感じます。

明らかに個々のストーカーは、筆者から何らかの情報を得ることを目的としているようで、それは彼らが、筆者の新しい薬の品目や買い物で購入した品物を見極められたときに、嬉々とした表情をしていることで分かります。

つまり、個々のストーカーは、筆者から何らかの情報を引き出すことによって仕事が完了し、それによって報酬が得られるか、もしくは「仕事をしなかった」という非難から開放されるようです。

では、彼ら集団を統率している組織の幹部は、何故組織員にこのような行動を強いるのでしょうか?服用している薬や購入した品物を知って、一体何になるというのでしょうか?

それとも組織幹部は、集団による付きまとい行為自体に意義を認めているのでしょうか?実際、毎日付きまとわれることにより筆者が受ける精神的苦痛は絶大ですが、「苦しめること」そのものに意義が認められているのでしょうか?

恐らく、筆者は精神的にタフな部類に属するでしょうが、普通の人ならば、とてもこのような付きまとい行為には耐えられないと思います。

そこで、付きまといが開始されたならば、人は早々に思い当たる付きまといの原因となっている行為を辞めることと思います。筆者のように筆を取る者ならば、その筆を投げ捨てるでしょうし、役所や企業で何らかの企画に携わる者ならば、仕事を他人に譲るか、前言を撤回してそっと身を引くこでしょう。

では、秘密組織の幹部は、「特定のターゲットに影響力を行使して、その望まざる行動を辞めさせるために組織員につきまといを命じている」のでしょうか?これは、一見もっともらしい仮説に思えますが、本当にそうなのでしょうか?

ここで、「影響力を行使して行動を改めさせる」とは脅迫行為に他なりませんが、目的が脅迫ならば、「何故その意思を筆者に直接伝えないのか」という疑問が発生します。

「伝えたらその者が捕まってしまうから」というのは理由になりません。連中は筆者のパソコンやスマホを足のつかない方法で盗聴し、その機能を遠方から操作していますが、ならば何故連中はパソコンに伝えたい脅迫メッセージを直接表示させないのでしょうか?

それも足がつく僅かな可能性があるので、できないのでしょうか?ならば、連中は時々、命令を受けられる経度の精神異常者を使って筆者とトラブルを発生させようと画策しているようですが、何故その者の口から直接メッセージを伝えさせないのでしょう?警察は、精神異常者を尋問したりしないのではありませんか?

そもそも脅迫行為が目的ならば、1年間にも亘って毎日組織員を動員したりするでしょうか?付きまとい行為だけをさせるというのは、余りに根気強すぎてまわりくどすぎる方法ではないでしょうか?

ここで、脅迫仮説が当を得たものならば、当然予想される一つの結末があります。それは、いくら脅迫しても行動を改めない筆者に対して、集団の怒りのボルテージが上昇するだろうということです。けれども、付きまとい行為はもう1年も続いているというのに、集団に怒りのボルテージが蓄積されているようには感じません。これはどうしたことでしょう?

連中は、付きまとう人間が固定化して筆者に同定されるのを恐れ、常に新しい構成員を投入してストーカー集団をリフレッシュさせているようですが、だから集団の気分も一新されて怒りが蓄積されないのでしょうか?それとも、付きまといを指示している組織幹部の頭には十分血が昇っているものの、日々銭が欲しいだけの組織員にその心が伝わっていないのでしょうか?

このように集団ストーカー現象が目指すところを精査すると、その解析は決して容易でないことに気づきます。ではここで、脅迫仮説とは別の仮説を検証してみましょう。

脅迫仮説が筆者の心の6割を占めているとすると、3割を占めている別の仮説があります。それを「最終ペナルティ仮説」とでも言うものです。

先の文章で述べたように、筆者は京都大農学部の教授に逆らい、UCバークレーの大教授にも逆らいました。つまり、いずれの教授も筆者の研究がある程度進んだ時点で、それを投げ捨てて完全な奴隷になることを求めたのですが、筆者は彼らの意に逆らってそれらの研究を完成させました。恐らくはその制裁として、罰として課されているというのがこの仮説です。

筆者は彼らが属していたと思われるイルミー組織には加入しませんでしたが、だからこそ裏切り者としては処分できないので、号令を下せる組織員たちに「永遠に取り付いて苦しめろ」という命令を下したのではないでしょうか?

「永遠に取り付け」とは、「すべての組織員が筆者に対して有するあらゆる影響力を行使して、犯罪者か精神異常者に仕立て上げて社会的に抹殺せよ」という意味でしょう。

ここで、もし筆者が何らかの研究所や企業に所属していたならば、連中は早々に成果を上げていたことでしょう。何故なら、そのような場合、連中は上司を通じて影響力を行使できた筈だからです。筆者は連中がお膳立てを整えた場所に出向かざるを得ず、そこで社会的に破滅させられていたことでしょう。

ところが、筆者はアメリカから帰国するや否や、心臓が末期的な状況にありいかなる就労も不可であることを知りました。筆者がこの病を「恩寵」と考えるのは、だからこそイルミーは筆者を襲撃する主要な手段を失ったからであり、「病に守られて生きている」とすら言えるからです。

最終ペナルティ仮説は、集団ストーカー攻撃が1年経っても収まらず長期化していることから、その真実性を少し増しています。

この仮説によれば、筆者が文章を書いているかどうかはストーカー現象と関係なく、連中が組織員に大規模な動員をかけているのは、たまたま発生したターゲットを材料として、組織を整備しそれを訓練させることに主眼が置かれていることになります。

かくも気長な下準備は、筆者という一個人を滅ぼすためだけに為されていると考えるのは少し無理があります。つまり、筆者を締め上げるのは「逆らったいかなる個人も滅ぼせる力を組織が有している」ことを証明するために必要なのであり、目的は「イルミー組織員の集団行動を訓練し、いかなるターゲットも滅ぼす様々なノウハウを蓄積すること」となります。

きっと組織の幹部たちは、そのような普遍的なシステムを構築するために知恵を絞っているのであり、この仮説において筆者という一個人は「たまたまターゲットに選定されてしまった哀れな被害者に過ぎない」ということになります。

ならば彼らは、強者としての優越感を胸に、ターゲットを狩る「人間狩り」のゲームを楽しんでいるだけとなり、だからこそ組織に忠誠を誓うのでしょうか?

いやはや「最終ペナルティ仮説」はあまりに欝で、げんなりさせられます。しかし、この仮説は「特異な被害者に見える個人を苦境から救わなければ、やがて世の中の良き人がすべてイルミーの思うがままに破滅させられるシステムが構築されてしまう」という点が肝要です。

「とうの昔にこうしたシステムは構築されてしまっており、知らないのは筆者だけ」なのかとも思いますが、どうもかくも凶悪な人間集団が過去の日本にも存在したとは思えず、近年にこそ急速に整備され組織化されていると感じます。

では、最後に残り1割の仮説を述べましょう。ここではまだ種々の仮説が混沌としています。

ここで一つ筆者の心を占めて去らないのは、「イルミー組織員は確かに命令に従って行動しているけれども、その命令は幹部のためでなく、末端組織員の快楽のために発せられているのではないか」という可能性です。

考えてみても、大風の日や寒い雪の日にまで「どこどこの辻に立て」とか「どこどこのマーケットに急行せよ」と命じられるのは苦痛なものです。それが毎日1年以上も継続するのですから、数千人で分担するので個々の負担はさほどでないとしても、常識的に考えると組織員の間に不満が渦巻くと考えられます。

しかし、筆者はそのような苦渋に満ちたストーカーを見たことがありません。彼らは皆、嬉々として参加しているようにしか見えません。

その理由は恐らく、彼らの多くが洗脳されているからだと思いますが、もしかしたらイジメを好む性癖があるが故にイルミー組織に取り込まれてしまった彼らは、洗脳の有無にかかわらず、定期的に嗜虐の快感を充足させることを欲しているのではないでしょうか?この説によると、組織の側は、組織員の結束を維持するために、定期的に被害者を提供しなければならないということになります。

ここで、病院にまで大挙して押し寄せる位ですから、ストーカーたちは経験上、筆者が重症心臓病患者であることは重々承知しているようです。しかし、この集団にまともな人間がいたならば、弱者を集団いびりする組織のアンフェアさに嫌気が差し、離反してしまってもおかしくありません。

ですが、どうも一向にそのような混乱は見受けられず、同情的に見えるストーカーなど1年間観察しても一人も存在しません。これは、イジメが好きで堪らない者はよいとして、そうでない者は定期的な催眠や洗脳によって、その嗜虐心を極限まで高められているからなのでしょうか?

この仮説は唐突に思えるかも知れませんが、集団ストーカー現象の不可思議さの核心である「何故彼らは過酷なタダ働きをするのか」という疑問によく答えてくれます。昨年1年間に動員されたストーカーは、延べではなく頭数で軽く千人を超えるようですが、それらを満足されるには莫大な金が必要でしょう。ですが、まずそんな金が動いていることはあり得ません。

この仮説を真面目に検証すると、余りにも浅ましくオカルト的に思えますが、実はこれこそ人間の本質を穿った仮説なのかも知れません。

最後に筆者の心を占める仮説は、「連中は筆者を敵として大きく評価しており、常に穿ったイルミーの策謀を暴露する文章を書ける理由を知りたいがために、大量の組織員を動員してその情報源をを探りつつ、ノイローゼとなり発狂することを狙っている」というものです。

仮に筆者がノイローゼにならなかったとしても、構わないのでしょう。つまり、「何でも文章に書く筆者が集団ストーカー現象をブログに記述することで、読者は狂人ではないかと疑うので、その文章が有するリアリティが破壊されてしまう」ことを期待しているのでしょうか?

いずれかの判断は、このブログの全文章を通読した読者にお任せします。(hiyoshikei006)
posted by 日吉圭 at 14:50| 京都 ☁ | TrackBack(0) | 日吉圭新作 | 更新情報をチェックする

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